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かつ煮定食を食べた後、「失ったもの」に気が付いた
「トーフ?or ナットウ?」
店員さんから聞かれ、数秒迷って「トーフ」と答えた。
この店のかつ煮定食は、副菜に冷奴か納豆のどちらかを選べるらしい。今日は溶けそうなくらい暑かったから、ここはサッパリと冷奴かな。
一瞬「ここは日本?」と錯覚するが、日本ではない。タイ・バンコクの日本食レストランだ。
レストランというか食堂に近い雰囲気で、単品料理の名前が刻まれた短冊が壁一面に敷き詰められていた。茎わかめも完備されている。
私は今回、バンコクでかつ煮定食を食べたの後、「失ったもの」があったことに気が付いた。
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土曜日の20時過ぎ、やや閑散とした店内に、タイや韓国人っぽい家族連れと、日本人らしき中年のおじ様方がおひとり様×3組いた。
見るからに日本人の彼らは、観光客ではなさそう。ある人は白いTシャツに短パンで、まさに「さっき家から歩いて出てきました」みたいなラフさ漂う格好をされている。
どこかの会社の駐在員に違いない。みんなスマホの動画に夢中のようだ。
このお店は、バンコクのSukhumvitというエリアにある。”日本人街”と言われるくらい、日本人の居住者が多い街なのだそうだ。大きな主要道路の上に、高速道路が走っている。東京でいうと、世田谷区の池尻大橋的な風景だ。
店内にあるテレビからは、日本のグルメ番組がBGMのように流れている。見たこともない番組なのに、無性にほっこりしてしまうのは何故なのだろう。
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6月も半ばに差し掛かり、東南アジアは雨季に突入している。そのはずだが、バンコクでは未だにギラギラと太陽が照り続け、雨が降る気配がない。
私はこの暑さですっかりのぼせてしまい、今朝タイに到着してから600mlの水を1本と、セブイレのベリーヨーグルトスムージーと、タイティー(タイ版ミルクティー)を2杯飲んだ。
飲み過ぎてお腹ははち切れそうになったが、口が常に冷たい水分を欲している。これが毎日だったら、糖尿病街道まっしぐらだわ。
そう思いながらも、仕方なく自分の本能に従い、糖分多めな水分を取り続ける始末だ。ChaTraMue BrandとSichaのタイティー、美味しくて体がとろけたなぁ。
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甘さ選べます。おいしいよ。
実は、タイのお隣の国であるラオスに赴任して2ヶ月あまりが経つ。
2ヶ月経ったいま、日本食が恋しい。
めちゃくちゃ恋しい。渇望している。
ラオスは小規模な国で、JAICAやNGO団体の関係で日本人が絶えず出入りしている。なので、美味しい日本食レストランがあり、私も時々お世話になっていた。(赴任してから、クオリティの高い日本食レストランはちゃんとあるのだと知った。)
それにラオスにあるいくつかの高級スーパーには、日本米も味噌もある。買えない値段じゃない。むしろ味噌は買って食べている。味噌があるだけで、食事のクオリティがめちゃくちゃ上がり、豊かな気持ちになった。
でもやっぱり、みりんや料理酒、鰹節は、高くてラオスでは買えない。例えば鰹節の大袋は300〜400円、納豆は3パックで500〜600円、バーモンドカレーの元は700円くらいする。
生姜焼きも、トンカツも、唐揚げも、お好み焼きも、お豆腐も、納豆も‥‥、
日本のご飯が食べたぁぁあい!
そんなこんなで今回は、用事も兼ねてタイに来た。ただ、タイ料理はそこそこでいい。邪道でいい。日本食を食べると決めて、ラオスから飛行機に乗ってタイに来た。
タイは、”なんちゃって日本食”ではなく、”おいしい日本食”の宝庫だと聞いたのだ。なんたって、バンコクには日本食レストランが4000店舗もあるのだから。チャンスである。
鼻息荒くさせてラオスから入国したが、タイティーやスムージーで、お腹がパンパンである。我ながら計画性がない。やっぱりタイのグルメもおいしい。
空腹感はそこそこだったが、お店を調べてみることにした。Google mapsで「日本食レストラン」と入力してみると、低く見積もっても20カ所くらいがヒット。想像を越える数に慄いた。
宿から近いところの口コミをいくつか見て、徒歩圏内にあったひとつの日本食レストラン「うま食堂1号店」にピンを立てる。
行く場所を決めたら、お腹がちゃんと空いてきた。これも本能だろうか。
そんなこんなで、今である。冷たいお茶を啜っていると、私のかつ煮定食が運ばれてきた。輝く白米に、豆腐とワカメ入りの味噌汁、副菜に冷奴とキムチ、そしてメインディッシュのかつ煮だ。ボリューム満点!!
もうちょっとお腹の余力を残しておくんだったなぁ。
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味噌汁を啜る。濃いめの味付けが、うわっと体の中に入ってきた。血液に乗って運ばれてきた旨み成分に、体が喜んでいる‥!私はいま、味噌の旨み成分を、過去一味わっている。
ぶわぁっと筋肉が緩み、一気に眠気が襲ってきた。いやいや、まだ食事は始まったばかり。ここで食べながら寝るわけにはいかない。シャキッとしないと。
硬めのお豆腐を食べる。(爽やか〜。)
口の中をサッパリとさせてから、メインのカツをつまむ。ちゃんと1センチくらい厚みがある肉だった。確認後、そのままひとくち。
ニッポンの味だ。
お腹はみるみる膨れていくが、ご飯を口に運ぶ箸は止まらない。最後のほうは、白米をヨイショヨイショと口の中へ放り込んだ。
はぁー、しあわせ。
自分がひと段落したところで周囲を見渡すと、日本人のおじ様たちも、もぐもぐとご飯を食べている。隣のおじ様も、カツだった。
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ありがとうございます。
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ひさしぶりの都会、楽しかったなぁ。
見えなかったことが見えてくる。
感じなかったことを肌で感じる。
それが日本の"外"に出て過ごす良さだなぁと思う。海外で長期間過ごすのと短期間過ごすのでは、感じるものが全然違うなぁって。
ただ、いまの私に「失ったもの」があったと知ったのは、このバンコクの旅からラオスに帰国した後だった。
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「失ったもの」が明らかになったのは、友人が在英国大使館HPの”ある記事”を教えてくれたからだった。
これまで住んでいた国を離れることは、たとえ本人が望むものであっても、心に大きな変化を及ぼします。変化することは、必ず「何かを失うこと」につながることになるのです。
『海外在住が及ぼす精神的な影響』より
何を失うのか。
それは、(1)言葉(2)文化・習慣(3)自分の周りにいる人々(4)生活環境、など多くのものがあるという。
今までのようなリズムで会話ができない。
同じような衣食住は叶わない。
こうした小さなストレスは、すべて喪失体験だったのだ。
変化することを、私はどちらかというとポジティブにとらえてきた。なので「何かを失うことになる」という視点は考えたことがほとんどなかった。
「変化」と「喪失」は表裏一体。
今回「変化することで、何かを失うことになる」という視点を持てたことで、バンコクまで行って欲求を満たすために時間とお金を使ったことが、いまの私にとっては正解だったのだなと確信することができた。
もし「失った」という自覚がなかったら、心のどこかに感じていた空虚感の正体が、わからなかったからだ。
私が「日本食が食べたぁああい!!」と渇望していたのも、テレビの日本語BGMにほっこりしたのも、都会の風景を味わいたかったのも、一種の「喪失体験」をしたから。
どんなに小さくても、しょうもなくても、失ったものがあったと受け止めるだけで、それに対するケアをしてあげられるのだなぁと思う。
強がりなんていらない。
失ったものがあったからこそ、今回新たに「自分を整える方法」を選ぶ基準に自信がもてた。
やっぱり、新たな知見が生まれるという変化は、「失ったもの」からの産物なのだ。
いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます! 書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。