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人の悪口を言ってはいけない?わたしは悪口を聞いてもらえる関係こそ、最も求めるものだと思う

「誰かのことを悪く言っちゃいけない」


これは正しいと思うし、わたしもなるべく人のことは悪く言わないように心がけて生きています。


ここでは改めて「悪口って良くないですよね」という話をするつもりはないですし、人のことを悪く言わない方が良いという前提はもった上でこの先を読み進めてください。


「人を悪く言わないように心がけていますか」


と聞かれたら「Yes」と答えます。


でも、わたしは


「あなたは悪口を言わない人ですか」


と聞かれたら


「いえ、わたしはときに悪口も言う人です」


と答えます。


だって実際に声に出して言わなくても、心の中で相手を罵倒していることはあるし、紙に書き出してその気持ちを昇華させていたりもする。


実際に本当に信頼のおける友人を選んで吐き出させてもらうことだってあります。


だって、必死に生きてるもん。誰かと本気で向き合ったり、ぶつかったりしたとき、相手を悪く言わないと自分の心がやっていられないとき、本当に無いですか。


大好きな人と心がすれ違ったとき、悔しくて「なんだよアイツ!」って言ってしまうこと、本当に無いですか。



わたしはあります。



わたしは

・人は置かれた状況で、その人なりの最善を尽くして生きていると信じる
・自分の好きな人とだけ、時間を過ごす


という前提で生きているので、悪口を言う人がいたら、「なぜ、その人が今その言葉を言わざるを得ないのか」に意識を向けます。


そうすると、ほとんどの場合は「言わざるを得ないくらい追い詰められている、頑張りすぎている」ことが多い。


だから「人のことを悪く言うもんじゃ無いよ」なんて正論は絶対言わない。その人がさらに追い詰められるだけだから。


悪口言っちゃいけないなんて、みんな知ってるの。そしていい人こそ、"人を悪く言ってしまう自分" に罪悪感を持ってしまう。( 罪悪感を持たず、気軽に悪口を言うような人は論外ってことで、ここでは対象としてません。そういう人はこのnote読まないと思うし)


だからわたしは、悪口を聞いてあげることは、その人の罪悪感も、言わざるを得ないくらいの頑張りも、まるっと受け止めてあげることだと思う。



正論って正しいけど、ときに優しくない。



正しいか、優しいかだったら、わたしは優しいを選びます。



もし、「周りの人が悪口をいう人で、その人の悪口を聞くのが辛い」っていう人がいたら「その人を受け止めたいほど好きな人と人間関係を築いていないってことじゃないかな?」とわたしは思います。


わたしも以前は誰かれ構わずつきあっていたので、「人の悪口聞くのは辛いな〜」と思うこともあったのですが、今は周りに自分の好きな人しかいないので、そう感じることはほとんど無くなりました。


さすがにつきあいの浅い人に悪口聞いてもらおうとは思わないし、逆につきあいの浅い人にいきなり悪口聞かされたらそりゃあ嫌です。(もちろん、その時も「どうして今この人は悪口を言う(言わざるを得ない)のかな?」とは思いますけど。)


悪口って言わない方がいい。


それは正しいし、そうなんだけど究極はそんなことをも許してくれる人間関係が欲しいです。


完璧じゃないし、悪いことも言ってしまうし、罪悪感にまみれてしまう。そんな自分を「そのまま」受け止め、ただ聞いてくれる人が、わたしは欲しい。


ときに悪いことを言ってしまうわたしに「正しさ」という武器で攻撃してくる人は正直、いらないんです。


逆説的ですが、自分の人間関係がそういう人とばかりになったら、その時初めて「悪口を言わない自分」になれる気がするんですよね。




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