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近くて遠いカップラーメン。母の教えに敗北した夏休みの記憶。

いつだって手に届く距離にいる
カップラーメン。
スーパーを始めコンビニだろうが
薬局だろうがどこにだって
売っている。

みなさんは半世紀生きてきたけど
両手の回数ぐらいしか
カップラーメンを食べたことがない。

と、聞いてびっくりするだろうか。
それとも
それが何?だったりするかしら。

カップラーメンは私にとって
ただのカップラーメンではない。

私の母にとって
カップラーメンは
自分の望む食事には
ならなかったのだろう。

どちらかというと
物心つく頃には
そんな「毒」入ったもの食べるな。
という雰囲気だった。

カップラーメンは添加物の毒。

ペヤングも。UFOも。
ちなみに、コーラもファンタも
ポテチも同じ扱いだった。

母の前で食べてはならない
ものだった。
食べたい。とは
言えない雰囲気を感じた。
だから友達の家に遊びに
いった時にしか食べたことはない。

強力な「反添加物信者」だった
母のその教えは
知らぬ間に
私にしっかりと染み付いていた。

高校2年の夏休み。
共働きだった母に
「今日はお昼を買って食べて」
と言われた。
お昼を何にしようか
考えながらコンビニに入って
カップラーメンが目に入った。

私には縁のないもの。
と思いながら
身体はカップラーメンの棚に
吸い寄せられた。

食べちゃだめなんだよ。
カップラーメンは。

食べてみようかな。

いやいや、お母さんにおこられるから。

1回ぐらい、いいじゃん。
大丈夫だよ。
バレないよ。

添加物がいっぱい入ってるんだよ!

でも。。

頭の中で二つの意見が交互に囁く。

どの位の時間だったか。
私はカップラーメンの棚の前で
手に取っては棚に戻し
手に取っては棚に戻しを
繰り返していた。

えいっ!

遂に私は手にカップラーメンを取り
いけない物を買うかのように
レジにさっさとお金を置き
足早にコンビニを出た。

心臓がバクバクした。

家に着き、ポットで湯を沸かす。

早く早く食べなきゃ。
3分が長い。長過ぎる。
もし見つかったら!

なんだろう。。この罪悪感。

味が分からない。
ちっとも美味しくないじゃん!

そう。。
ちっとも味わえなかった。

母に反抗した罪悪感と
味わえなかった敗北感。
そしてラーメンのカップをゴミ袋の
1番下に隠して捨てた。

あぁ。

今になってみたら
アホみたいな出来事だけど
ちょっと行き過ぎた母の食育が
私の味覚を作ったのは事実。

その味覚も仕事や家庭で
役に立ってると思えば
それはそれで有り難いけど。

もちろん添加物はなるべく
とらない方がいい。
でも今や添加物がないものを
選ぶ方がとても難しいし、
生活の中で上手に付き合えばよいのでは
ないかと思っている。


が。。今でもカップラーメンを
罪悪感無しに
選ぶことができない私。

別にもう大人なんだし
怒られようも無いし
食べたければ食べれば?

カップラーメンの棚の前で
自分に突っ込みを入れてみる。

。。。。

まだ罪悪感に勝てる
気がしないので
またにしよう。。


カップラーメンを
楽しめる日はいつになるかな。




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