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自己紹介~障害者のキャリア~

はじめまして、ゆっくんです。

ぼくは2011年6月、大学3年生の時に躁うつ病と診断され、精神障害者となりました。

現在は31歳ですが、ここまで6回の転職をして、今は外資系ITに勤めています。そして今、この会社で働くことが大好きです。

キャリアを歩んでくる中で何度も、
自分はもうだめだ
障害者に未来はない
病気になったのが全て悪いんだ

と、自分を否定することが幾度となくありました。

でも、あきらめずに一歩ずつ前に進んでいったら、徐々に状況が好転していきました。

その歩みを綴りたいと思います。

1社目「エビもぎりの仕事」

早稲田大学を1留して卒業後、新卒で入社できる会社がなく、せっかく早稲田を出たのに新卒チケットを無駄にするという失態を犯す。

2014年4月、途方に暮れていましたが、なんとか働かなくちゃやばいってなって、マイナビのインターンをしてそのまま就職しようっていうキャンペーン?に参加して、なんとか職を得る。

それが築地にある卸売の会社であった。

始発で築地市場に向かい、築地で魚を仕入れて、車に詰め込んで配達をする仕事だ。
オマール海老を輸入している会社だったから、時にオマール海老を胴体と尻尾にもぎって仕分けるってこともやった。

早稲田を出たんだからエリート街道に進むんだみたいな感覚が拭えなかったから、仕事に優劣なんてないんだけど、正直なんでこの仕事をしているんだろう、って思うことは多々あったし、築地市場の兄ちゃんたちにも「早稲田出たのにここにいるの?」みたいなことを言われたりして、辛く感じる部分があった。

障害のことは隠して働いていた。
なんとかバレないようにと、平然を装って。
それも自分に負荷をかけていたなとは思う。

社長はITに疎い人だったけど、なにか導入できないかと思ったらしく、とある有名IT企業のビジネスに関わる講義に連れて行ってもらったことがある。

当時2014年だったけど、その会社の仕事ぶりが紹介されていて、オンラインでミーティングしたり、自社のITツールを仕事にこういうふうに使っているんだよっていうのが紹介されていて、一流企業は違うなって思ったことがあった。

期待されて大切に思われてた部分はあるけど、結局会社にグレーな部分があって、これ以上続けられないなと判断し、1年で退社した。

2社目「IT系の会社(SES)」

なんとなく、この先ITだろって思ってIT系の会社に就職が決まった。ここでも障害のことは隠していた。

SESの会社で、社内に所属するSEの一人となって、常駐先に常駐して、仕事をするスタイル。

研修でJavaを学んだが、それを仕事で活かせるスキルもなにもない僕でもできるような仕事として、最初はデジタルカメラの検証の仕事にアサインされた。

デジタルカメラ、いわゆる一眼レフやミラーレス、アクションカメラなど、発売前のカメラをひたすら操作して、バグを見つけて、エンジニアに報告する仕事。

QAと呼ばれる仕事ですね。

自分のやってた仕事は、言ってしまえば誰にもできるような仕事だった。働きながら、ここから脱するにはどうすればいいか、って考えてた。プログラミングを頑張って、開発の仕事に行きたいなって考えてたはいいものの、全く努力をしなかった。

惰性で過ごしていた。

今思えばこんなんじゃキャリアは好転しないよねって。

結局この会社では常駐先を5,6社経験して、2年で退社することにした。

でもその中で、ひとつ自分にあった常駐先があった。

それがヘルプデスクの業務を行う常駐先だ。

立ち上げから携わり、人にも恵まれて、今でも付き合いもあるような人と出会えた。

ペーペーながら、毎日問い合わせを受けていくうちに自分の知識も身についていくのを感じた。

電話大嫌いだったけど、やっぱり仕事もスポーツと同じで、できるようになると楽しい。って思えた常駐先だった。

これは本当にいい経験だったって今でも思っている。

3社目 「不動産」

ここまで、けっこうキャリアが迷走していることがわかると思う。笑

年収を上げたいなら業界を変えるんだっていう短絡的な思考で、不動産業界に転職した。

営業はできないとわかっていたから、退去後の家賃を決める仕事に応募して、就職が決まった。

ハローワークを利用した。かなり大手の会社だった。

ここでも障害のことは隠していた。

障害がバレないようにしながら、なんとか頑張っていたものの、徐々にぼろが出てくる。

自分の頑張りは同僚から見たらぜんぜんがんばっていなくて、電話も怖かったから、答えられないことが怖くてなかなか積極的に出れなかった。

そのような勤務態度に見かねて、徐々に上司からの風あたりが強くなってきて、病気や障害のことは隠していてバレはしなかったんだけど、上司に「こいつは病気だから仕方ないよ」って言われて、もう耐えられないってなって休職のすえに退社した。半年も勤められなかった。

4社目「EC系の会社」

同級生に声かけられて、同級生の起業した会社に勤めることになった。

当時やってたのは、楽天で仕入れてAmazonで売る仕事。いわゆる転売ですね。

同級生ってこともあり、障害のことはオープンで働くことができた。

お金を稼ぐことについて、もちろん詐欺なんかは不義だけど、この仕事は誰のためになっているんだろうって考えてしまって、自分のために稼ぐ仕事だなぁって。やりがいを感じられなくなってしまった。

お金はほしい、でもその仕事にやりがいも求める。当たり前のことかもしれないけど、そういうのを求めて半年で退社する。

5社目「Uber Eats」

次の仕事が決まるまで、とりあえずつなぎでウーバーイーツをやった。そしたら1年も続けることになった。

月20万以上は稼げるようになった。というかそれくらいのボリュームだけ働いた。

でも毎日チャリ乗るのはやはりしんどいですね。体力や体という資本や時間をお金に変える仕事。自分にはスキルもなにもないからそうすることを選ばざるを得ないんだけど、本業でやるにはしんどくなって、1年たって夏の暑い時期にチャリを漕ぐのがいやってなって。派遣で働くことにした。

6社目「コールセンター(派遣)」

ここでも障害のことはオープンで働くことができた。

友達にコールセンターとかいいんじゃない?って言われて最初は絶対やだとか思ってたんだけど、働いてみると、意外と適性があった。

面と向かった対人でのコミュニケーションは苦手だけど、持っている知識を電話越しに伝えることはぼくにもできた。

ここでは頑張りが認められて、同じ派遣先で新しい業務が始まった際には声をかけられて駆り出されたりした。

そのなかで時給も上がったりして、やりがいもあった。

最終的にリーダーっていうポジションを担当するまでになった。

その中で仲良くなったオペレーターがいて、一緒に飲む機会があったんだけど、「なかちゃんさんほんとコミュ力半端ないっすね」って言ってくれた方がいた。自分がよく一緒にいる人は大学の友達が多いから、なかちゃんコミュ障だよねってよく言われてたんだけど、違った環境で育った人から見たときに、コミュ力の基準は違うにせよ、そんなふうに言ってくれたことがうれしくて、少し自信になったよ。ありがとう。

7社目「外資IT カスタマーサポート」

一年以上コールセンターに携わった末に、その経験を活かして外資IT系企業に就職できて、今はカスタマーサポートの仕事をしている。

まだ入社してから5ヶ月だけど、天職って思えるくらいに充実していて、自分にフィットしている。

また、ここでも障害のことをオープンにしたうえで採用していただいて、大変感謝している。

一旦はここがゴールだと思った。今までの転職物語の。なぜなら、すべてがつながったから。

今の業務の会社名とかは出せないんだけど、とある有名企業のベンダー企業である。

その有名企業こそが、あのとき、一社目のエビもぎりの仕事をしていたときに研修で連れて行ってもらった、一流IT企業であるから。

あのときの、あの会社で、あの会社のツールを使ってオンラインで繋いで会議や相談をし合ったり、チャットでやり取りしたり、っていうのが今できている。

憧れだったことが今、できている。

2社目のITでヘルプデスクに携わった経験がなかったら、カスタマーサポートっていう仕事に興味を持つこともなかったかもしれない。

友達の言葉を無視して、派遣でコールセンターを経験しなかったら、自分にもできることなんだ、って思えなかったかもしれない。

すべての経験がって言えるわけでもないけど、有名な話でもあるが、点と点が今、線で繋がった。

業務内容は専門的だし、内容も難しいけど、そこでがんばれている自分がいるし、これからもここでがんばりたいって思っている。

最後に、キャリアとは

たくさんの仕事や転職の経験を繰り返して、思ったことがある。

よく議論にもあがる、やりたいことを仕事にするべきか、できることを仕事にするべきか、自分の中での結論はこうだ。

「できることを仕事にする」

自分のキャリアを振り返ってみて、やりたいことや興味のあること、もっと稼げる仕事っていうのを目指して転職を繰り返し、結局やめてしまうってのを繰り返していた。

できることや適性のあることを仕事にすると、できないことや初挑戦の仕事よりも圧倒的にストレスが少ない。

できることが更にできるようになると、より仕事が楽しくなって続けられる。そんなサイクルで知識も増えていくことで好循環が生まれる。

自分はとくにストレスがかかることが悪だから、できることをして、知識が増えて、さらに幅が広がることで、キャリアがどんどん上向いてくると思った。

自分の好きな言葉の一つに、「常にいろんな選択肢を持たれる」っていう言葉がある。

この言葉を今の自分に当てはめると、「できることをして、続ける中で知識が増えて、さらにできる範囲が広がっていった時に、気づいたらそこにいろんな選択肢を持てる状態になっていた。」
というものである。

選択肢を持つために行動するというよりかは、今目の前のできることに精一杯コミットして、その先に気づけばいろんな選択肢が広がっていた、これってすごく素敵なことだと思っている。

選択肢を持つために行動するのも悪ではないし、実際そうした結果、選択肢を持てる人もたくさんいると思う。

自分は目の前のことを全力でやって、気づいたら選択肢を持てる状態になって、その先にさらなるキャリアアップがあると信じているので、これからも全力で目の前の仕事に向き合っていきたい。

あと、最後に、自分がもし障害者で、悲観的になってしまい、キャリアは捨てているっていう人がいたら、諦めずにできることから始めてほしい。

寝て起きたらキャリアが好転していた、ってのはまずないから、長い道のりかもしれない(自分もここまで7年かかった)けど、あきらめることはせず、できることから始めてほしい。

ありきたりな言葉だけど、コツコツと、積み重ねていくことが、自分を大きくしていくと思う。

#自己紹介
#この仕事を選んだわけ


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