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芸術における数字の捉え方

自分に対する戒めでもあるんだけど…

芸術をしていると『数字』というものと向き合うことが多々あると思う。

詳しい例を挙げると、コンクールとか試験とかの点数やその結果。

今なんか特にコンクールもたくさんあるし、私が子どもの頃よりも子どもから参加できるものがたくさん増えたと思う。

私はそういうものにまとわりつく『数字』がなんだか苦手で、実は今もそうだとは声を大にしては言えないけれど、実はそうなのだ…

とはいえ社会人になってからは、たまにではあるけどコンクールに出場している私。
それは結果が欲しい!と言うよりも自分の克服したい目標がその時々にあり、スリリングな場でどの程度達成できるかというところに重点を置いている。
(ちなみに師匠には、あなたは枠からはみ出しまくってる人間なんだから(どういうことwww)、求めている枠に入れる人を欲する場には無理に出なくて良いよ😂と言われている)

そんな感じなので、それでも運良く入賞するときもあるし、あともう一歩で届かなかったり全然ダメだったり色々だが、正直入賞する=良い演奏ができているとは限らないのよね…というのが素直な感想である。(入賞した場合、票があまり割れなかったと考えた方がいいのかもしれないと最近思っている)

それは自身が審査員を務めたり、生徒のコンクールに付き添うたびにその考えが深まった。

だから、その数字を栄光に感じすぎたり、数字にしがみつくのは本当に危険だと感じる。
乱暴な言い方をすると、その数字はその瞬間だけのものであって、それでその人、その演奏者の全てがわかる訳では全くない!ということ(自分に言い聞かせてるのか?負け惜しみか?って感じだけれども😂)。

よく『入賞しなかった人も良い演奏でした』とか表彰式などの講評で言われ、その度に私はいつも「ほんとか〜?」って疑っていたのだけれど、自分が出場するだけでなく、審査をしたり、聴きに行ったりしている今、同じことを思う。

数字に捉われず、そして惑わされず、『自分がどうだったか』『どう在りたいか』、自分に1番厳しい目を持ち続けることがとても大切なことだと改めて痛感している今日この頃。

受け止め方のバランス、難しいな。

….そしてこんな考えごとをしている私なので、実は正直ここ2年くらい、コンサートなどで提出するプロフィールが馬鹿馬鹿しく思うときがある。

『それ、過去のですよね?』
って、自分で書いて自分でつっこんじゃう。

今、どうなんですか?
今、どんな演奏ができるんですか?

って、そこが大事だよなとふと思ってしまって。

まあそれでも書かない訳にはいかないから書いているんだけれど(笑)

そんな大したもんじゃないんだよな〜。(これは本当に本当)
過去の自分に縋ってるみたいで嫌だな〜。


という自分の気持ちと、とはいえどんな人かアピールして知ってもらうにはこれが1番なのかな…と思いつつ、葛藤しながら書いております…

追記:
今日は台風の影響で悪天候の中、上野の旧奏楽堂で演奏してきました。
伝統あるホールで、先人たちがここで音楽を奏でたと思うだけで涙が溢れそうでした。
ピアノとはなかなか最初は仲良くなれませんでしたが、だんだんと打ち解けてきたときには終了(こういうところ、本当良くない)。
雨や蝉の鳴き声など自然の音も聴こえ、もっともっと弾いていたかったです〜。



ゆき🌼

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