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【満員御礼】日本酒イベント「酒と夏 阿佐ヶ谷」に人が溢れた、たった2つの理由。

8/5(日)に阿佐ヶ谷イネルにて、日本酒の飲み比べイベント「酒と夏」阿佐ヶ谷を開催しました。

「酒と夏」概要はこちらから→https://sake-and-summer.peatix.com  

予想以上の方にご来場いただき、満員御礼でとても嬉しくて楽しかったのと同時に、キャパに対して、全く席数が足らないということになってしまい、お待たせしてしまったり、オペレーションが行き届いていなかったりと、ご迷惑おかけしました。企画、運営として反省する点もあり、とても勉強になりました。

今回、また長くなってしまったので、自分への備忘録として残している。私はとても論理的とは言えないが、書くことで、自分の中で整理して消化しているのだなと思う。(本来は文章を書くのが苦手)

「酒と夏」を企画したキッカケ

なぜ今回の企画をしようと思ったかというと、私が現在住んでいる阿佐ヶ谷のシェアハウス「A-CAMP」で今井翔也くん(以下翔也くん)に出会ったからだった。
翔也くんは、WAKAZEという酒ベンチャーで醸造責任者をしている。簡単に言うと、日本酒や、そのカテゴリーには当てはまらない新しい酒を造っている人だ。日本酒好きには、杜氏といった方がわかりやすいかもしれない。翔也くんのことは、A-CAMPの現住人であり記者の中川雅博くん(以下まーくん)がロングインタビューにまとめてくれたので、いつかどこかで公開したい。(イベントに来てくれた人には配布させていただきました)

今井翔也東京大学農学部卒業後、食品系ネットベンチャーに就職し、在籍中代表稲川と出会いWAKAZEを創業。新卒で入社した会社を辞め、秋田の新政酒造、富山の桝田酒造、新潟の阿部酒造で蔵人として修行を積み、酒造りの知識・ノウハウを横断的に会得。実家は天保12年(1841年)創業の群馬の聖酒造。WAKAZEでは醸造技術担当として、《ORBIA》《FONIA》の開発を技術面から支える「WAKAZE 三軒茶屋醸造所」では技術顧問としてオペレーション設計や技術指導を行う。

翔也くんとの出会いは2017年8月。秋田の酒造「新政」での2年間の修行を終えて、東京に滞在するつかの間の宿が必要になり、古巣のA-CAMPに連絡してきたのである。そう、翔也くんも2年前までA-CAMPの住人だった。新政へ修行へいくことが決まり、A-CAMPを卒業した。WAKAZEは、立ち上げ時にA-CAMPを拠点としていたこともあったのだ。

翔也くんは持ち前の明るさと人懐っこさで、すぐに現住人とも仲良くなった。私が日本酒がすごく好きでこんな銘柄が好きという話をすると、翔也くんから「女子の舌じゃない」という称号をもらった。お酒造りをしている人に言われるのだから、名誉なことだ笑。翔也くんがA-CAMPに滞在している間、みんなで飲むことが多くなった。元々、住人同士仲良しで、よくリビングで飲み会をしていたから、翔也くんの話は絶好のお酒の肴だった。楽しいの一言で片付けるのは惜しかった。
そうするうちに、翔也くんの滞在期間が終わり、2017年9月の終わりに、またお酒造りの修行に旅立っていった。旅立ってからも律儀な翔也くんは、事あるごとにA-CAMPにお酒を送ってくれた。その全てが美味しかった。

イベント企画を生業としている私は、「いつか、翔也くんと日本酒のイベントができたらいいな」と、ふと思った。

翔也くんに出会って、お酒造りの話を聞いて、さらに日本酒に興味が湧いた。この時には、こういう風に日本酒を好きな人が増えていけばいいなぁと漠然とした気持ちだった。

時は流れて、2018年5月。翔也くんから連絡が入った。
実家である聖酒造の東京での仕事と、WAKAZEの三軒茶屋醸造所立ち上げために、東京に滞在するからA-CAMPに泊めてほしいとのことだった。もちろん、なんの問題もない上に、早く翔也くんの話が聞きたかった。翔也くんがA-CAMPに帰ってきてからは、住人でよくリビング飲み会(翔也くんが造ったお酒をもってきてくれたのだ)をし、修行先や実家で造ったお酒の話、WAKAZEのクラウドファンディングや、三軒茶屋醸造所で今から造るお酒の話、普通のなんでもないくだらない話もした。その時すでに、WAKAZEの新たなプロジェクトでフランスへ行くことが決まっていたので、つかの間の一緒に過ごす貴重な時間を楽しんでいた。

ある休日のこと、A-CAMP住人でブランチをしていた。食後にコーヒーを飲んでいると、私はあることを思い出した。今しかチャンスはないと思った。

「翔也くんとA-CAMPのみんなで日本酒のイベントしたい!フランスに行く前に。」

「いいね。修行してきた酒蔵にも恩返しがしたいから、自分が関わってきたお酒を出せたらいいな」とすぐにOKしてくれた。
一緒にいた、まーくんもノリノリだった。「やりたい!だったら翔也くんの今までのストーリーを記事にして配布しようよ」
「デザインは、みったん(本職グラフィックデザイナー)にお願いしよう!ホスピタリティ抜群のまりりんには、お酌してもらおう!だいちゃんもこうなったらくるでしょ!」と、A-CAMPの他のメンバーも巻き込んだ。
もうその時点で、イベントのコンセプトは決まっていた。翔也くんが関わってきた酒蔵のお酒、そして彼が造ったお酒を通じて、彼のストーリーや人柄を伝えることだった。はじまりの場所である「A-CAMP」のメンバーでなら、それができると思ったのだ。やるなら絶対に場所は阿佐ヶ谷がいいと思っていたので、A-CAMPから徒歩3分のところにある、お世話になっているコミュニティカフェのイネルを借りることにした。

その日のうちに、イベントの概要がほぼ決定した。

前置きが長くなってしまったが、振り返ると、このイベントが成功したポイントは、たった2つのことだと思っている。

1、ストーリーを伝えること

先ほども述べたが、まず1つめにストーリーを伝えると言うこと。

今や、全国で数多くの日本酒の飲み比べイベントが開催されている。ただ単に、お酒の飲み比べのイベントにはしたくなかったし、埋もれてしまわないためにも差別化を測りたかった。他の日本酒のイベントもそう試行錯誤していると思う。当たり前なのだけれども、イベントを企画する時に、誰にでも作れるイベントはしたくないと思っている。

私は、翔也くんのお酒造りのストーリーをある程度知っていた。彼が全ての決断に悩みに悩んで考え抜いた結果、彼の人生は唯一無二のストーリーになっている。誰しも人生にはオリジナルのストーリーがあるが、私は彼の人生の選択に感銘を受け、影響されている。それをイベントを通じて伝えたいと思った。
なんなら、ストーリーさえ知ってもらえれば、確実に、勝てると思っている。

他の日本酒イベントと違いを出すために、告知自体も「今井翔也」という個人を全面に押し出した。酒蔵や酒販店のイベントでは、もしかしたら杜氏を取り上げるイベントなどあるかもしれないが、色々な酒蔵で修行したお酒の造り手とその人に関わる酒蔵やお酒を表立ってとりあげるイベントは、なかなかないはずである。(横尾調べ)
そもそも造り手と触れ合える機会は、お酒の仕事しているというなどの特別な事由がない限り少ないと思う。私も友人の中で、お酒を造っている人は翔也くんだけだ。彼の修行していた酒蔵は、日本酒好きは知らない人はいない酒蔵ばかりである。そこでお酒を造ってきた人ってどんな人なんだろう?と、興味を持ってくれる最初の理由はそれでよかった。
イベントの時間内に、ひとりひとりを話をできる時間は限られているが、彼がこれから成す「日本酒を世界酒にする」ということを、イベントが終わった後も一緒に体感してもらえたらと考えた。 

そこで、まーくんが提案してくれたインタビュー記事の配布が重要になってくる。

翔也くんとまーくんは、本業で忙しい間を縫ってインタビューを敢行した。トータル3時間かかったが、まだ話は尽きなかった。本職が記者であるまーくんの質問力でどんどん話を引き出していく。でも、まーくん曰く「翔也くんは話し上手だし、大体は質問しないでも大丈夫だった。それは彼自身が、何かを決める上で、悩んで考えてきたから、しっかり話せるんじゃないかな。」ということもあるらしい。
まーくんが書いてくれた翔也くんの記事は、約7000文字になった。そこから3500文字まで削ろうとしていたのだが、削るのがもったいないぐらい素晴らしかったので、ページ数は増えるけどそのままでいこうという決断をした。翔也くんの今までの人生と、これからのことが詰まった、読み応えのあるインタビューになった。普通はロングインタビューはなかなか読んでもらうハードルが高いが、自分の知り合いのインタビューだったら読んでみようと言う気持ちが起こると思う。それをうまく利用して、イベントで知り合い、距離が近くなった翔也くんのインタビューなら、長くても読んでもらえると思った。イベントに余韻を残したかったし、日本酒ファン、ひいては今井翔也のファンになってもらう可能性を広げたかった。
イベントに遊びに来てくれた編集者をしていた友人からは、「インタビューを読んでからイベントにきたかったよ!」と言われた。彼女にはちゃんとインタビューの内容が伝わり、これを読んで、もっと深い部分でお酒を楽しみたかったとのことだと思う。褒め言葉のひとつとして、受け取っている。(次回には活かします。。。)

翔也くんが厳選したイベントで出すお酒の紹介チラシも作成した。翔也くんが全てのお酒にコメントを残している。自分が飲んだお酒がどれだったか、忘れないようにしてもらう為だった。私がよく飲みに言った時になるパターンだから、こういうのがあったらいいなと思っていたのだ。

ただ単に日本酒を楽しむだけではなく、その先にある、造り手の思いや、その人のストーリー、お酒のストーリーを知りたいと言う人は、確実に増えていて、今回のイベントは、そこにリーチできたのではないかと思う。実際に、ライトな日本酒ファンだけど、今回のイベントはお酒を造っている人がいて面白そうだからきてみたという人も多かった。

集客時に、ここには唯一無二のストーリーがあるということを伝えること、イベントに参加してもらってさらに深く知ってもらうということ。
この二つが揃うことが重要だなと感じる。

2、積極的にコミュニケーションをとること

翔也くんはインタビュー時に、「お酒は人と人との潤滑油」ということを話していた。私もその意見には身をもって納得している。

結果でいうと「酒と夏」は、参加者の滞在時間が思ったよりも長く、それは盛り上がった証拠だと思っている。(欲を言えば、もう少し日本酒が売れたらよかったかなというところぐらい)

イベントでは、まずは参加者と翔也くんのコミュニケーションが大事だと考え、一言でもいいから、声をかけてもらうようにしていた。翔也くんは話すことで魅力が増す。ひとつは、彼が造り手と同時に、伝え手としての素質があるということと、もうひとつは、単に彼の人柄がただ単にとても良いということもある。
オペレーションの部分は、A-CAMPメンバーで回し(回ってなかったけど)、翔也くんには積極的に参加者へお酒の説明をしてもらったり、ひとりひとりに合ったおすすめを出してもらった。案の定、参加者からの翔也くんへの質問は途切れなかった。満席でお店の中に入れない人には、外で待機しているメンバーが対応し、翔也くんを外に呼び、積極的に話していった。翔也くんと話した人はみんな満足そうだった。こんなに詳しく日本酒の話を聞いたことがないという人もいた。トークイベントのように、前に立って、参加者全員にお酒の説明するのではなく、時間と手間はかかるけど、ひとりひとりと直接話すことで、より距離が縮まったのだなと感じる。

この、ものすごくシンプルな作戦は、イベントを楽しんでもらう上で大成功だった。

他の運営メンバーも積極的に参加者とコミュニケーションをとっていった。日本酒好きなんですか?、どうやって知ってくれたんですか?と話しているうちに、会場内に和が生まれていった。

予期していなかった、嬉しい産物もあった。参加者同士がコミュニケーションを取り出したのだ。お店が狭いので、物理的な距離が近く、話しやすかったのかもしれない。飲み屋さんの多い阿佐ヶ谷という土地が、そうさせたのかもしれない。お酒も入り、日本酒好きが集まるとこうなるのかもしれない。自然とコミュニケーションが生まれるところを意識して目撃したのは初めてだった。

イベントを主催していると、単に観るとか聞くとかお客さんをするだけじゃなくて、ワークショップや何かを体験するものの方が満足度が高い。「酒と夏」も体験型ではあるが、参加者自身が積極的にコミュニケーションがとれる状況にあったということが、より滞在時間が長くなった理由ではないかと考えられる。

翔也くんが言っていた「お酒は人と人の潤滑油」の答えがここにあった。

まとめ

私が意識したのは、この「ストーリーを伝える」、「積極的にコミュニケーションをとる」の2つのことだけ。全く難しいことではなく、自分たちのでできる精一杯で、参加者に喜んでもらうというのが大事なんだと気づかされた。
今回は、運が良かったことに、翔也くん含め仲間たちと自分の得意なところを活かしながら、イベントを作っていけたので、このチームでなかったら、アプローチの仕方が変わっていたのではとも思う。


最後に、このイベントは、翔也くんの修行したお蔵さんのご協力がなかったら、開催できませんでした。聖酒造、新政酒造、阿部酒造、枡田酒造店、そしてWAKAZE。そのお心づかいのひとつひとつが大変ありがたく感謝しています。このイベントが成功した大前提には、どの日本酒も自信を持って美味しいと言えるということがあったと思います。ぜひ日本酒を買うときは参考にしてほしいです。
特にWAKAZEは、三軒茶屋の醸造所の立ち上げで人手が足らない時に、快く翔也くんをこのイベントに送り出してくれました。本当にありがとうございました。

おそらく、このメンバーで「酒と夏」をするのは、なかなか難しいと思っていますが、またいつか機会があれば、もう一度、開催したいイベントだなと思っています。

親愛なる、翔也くん、A-CAMPのみんなへ
イベントお疲れ様でした。本当にいつもありがとう!

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