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数学が苦手な私の思い出の先生

考えてみたら、これは昭和の高度成長の後半の頃、パソコンもなかったアナログ時代の話。

数学が苦手だった私の、中学の時のY先生のこと。


私の記憶の中では、出会った頃のY先生は、一度社会人を経験してから教師になり数年目。小柄で細身で髪は七三分け。

いつもグレーのズボンと白いワイシャツ、紺の細めのネクタイだった。そして、授業の時はチョークの粉で汚れるのがいやなのか、ワイシャツの袖を捲り上げていたように思う。

みんなからは、下の名前○○ちゃん、
と呼ばれて友達のように慕われていた。

掃除の時間は、いつも生徒と一緒に箒を持って教室を掃除していた。私の友人はよく、
「みんなに紛れると、先生がどこにいるのか、わかんなくなる」
と言って笑っていた。




そして、中学の3年間、数学はY先生の授業を受けた。Y先生の授業は、教科書を使わなかった。

単元の流れには沿っていたが、当時の教科書では省略されてしまう、途中の簡単な計算式も全て書いた、独自の手書きのプリントを毎回配って、それで授業をした。



Y先生はいつも、サクサクと次々に指名し、自作のプリントで、新しい語句を穴埋しながら説明をしたり、簡単な計算問題から授業を進めてくれた。


私は算数や数学が苦手だった。計算は速いがミスは多いし、問題の読み違えはするし。だからテストは公式や問題の解き方の暗記ですり抜けていた。


でも、今から思えば、Y先生の授業は「わかる、できるを一つ一つ、積み上げていけば、いつか山にも登ることができる」そんなことを実感できる授業だった。

そして私の数学は、学年末の県下一斉テストで7割がやっとから、満点近くまで上昇した。

当時を振り返ると、生徒数は増加気味で高校が足りなくなるかも、という時代。

まだインターネットは愚か、学習塾もなかった小さな町で、部活と遊ぶことしか考えていない、のんびりした中学生たちを、なんとか高校に入れようと奮闘したY先生。

今さらながら、そんな地味だけど、熱い思いのこもった授業を、受けることができたことに感謝している。



◎今日も私の思い出noteをお読みいただきありがとうございました😊



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