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なぜ外国人神父の日本語は片言なのか?

結婚式のチャペルに立つ外国人神父、実は日本語ペラペラなのかもしれない。

友人が結婚式をする際、事前に外国人の神父と打ち合わせをした。当日の流れを確認する打ち合わせでは、神父の外国人はすごく流ちょうな日本語を話していたらしい。日本に住んでいるのだから、日本語ペラペラでも不思議ではない。ところが挙式本番になると、「スコヤカナルトキモ ヤメルトキモ……」と片言の日本語に切り替わってしまったという。

普通に日本語を話せるのに、なぜ神父は片言で話し続けるのか?

まず1つ目は、片言の方が愛嬌があるからだろう。タレントのボビー・オロゴンが片言の日本語を使い続けたのも同じ理由だろう。わたしたちは、外国の方が一生懸命片言で話す様子は可愛らしいと感じる。化粧品などオシャレな広告には外国人が多く起用されているように、日本では外国人は日本人以上に「カッコいい」と思える存在だ。そんなステキな彼らが片言を使うとギャップが感じられ、かわいいと感じられる。カッチリした服装の神父だと、なおさらギャップがあるはずだ。

2つ目は、神父に対するイメージだろう。多くの日本人は、結婚式以外で教会にはいかない。そのため神父といわれるとTVや映画のイメージでしかない。人々の懺悔をきき、許しを与える偉大な立場だ。そんな神父が日本語ペラペラだと、自分たちとあまりに近すぎる存在に感じてしまう。偉大なイメージがあるからこそ、片言の日本語を話す別世界の人でいてほしい、といった気持もある。

3つ目は、片言で安心感が生まれるためだ。外国人は日本人よりずっと体格がよく、立っているだけでも迫力がある。まして一生に一度の結婚式で、神父としてフォーマルな服装をしていればなおさらだ。そんな場面で愛嬌のある片言がきければ、緊張している新郎新婦も多少は和らいでいるんじゃないか…!いろいろ察してくれる日本人も安心だけど、多少の失敗は多めに見てくれそうな片言の外国人もある種安心を感じさせてくれる。

こうした理由で日本慣れした神父でも片言を話し、結婚式の雰囲気を作り上げている。でもロバートキャンベルのように、外国人でも日本語ペラペラな神父がいれば、それはそれで楽しいんじゃないかなと思う。

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