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近くて遠い聖地が教えてくれたこと

この「推し活」全盛の世の中で、私はなんだかんだ理屈をつけては自分の「好き」に正直でいることを自らに禁じていました。

好きな人やものに対してまっすぐに愛を注ぐ人を見ては、私もかく生きたいとうらやむ一方、この程度の「好き」しか持っていない私にその資格はないという気持ちも消えませんでした。

雷鳴が響く春の夜、冷たい雨風が、私の心を覆っていた何かを吹き飛ばしていきました。


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川崎フロンターレを応援するために等々力陸上競技場に足を運ぶようになってから1年。

初観戦のきっかけは、夫が職場のつてか何かでチケットをもらってきて「たまには行ってみない?」と声をかけてくれたこと。

同じことはそれまでにも何度かあったのですが、そのたびに私は「無理無理無理無理!」と全力で断り、試合には夫が長男を連れて行っていました。


自宅から自転車で行ける聖地。その物理的な身近さとは裏腹に、私はJリーグの試合を現地で応援するという行為に高いハードルを感じていました。

Jリーグ元年にはとっくに物心ついていた世代です。フェイスペイントをしてスタジアムで熱狂する人々の姿をテレビで見たときのインパクトは強烈でした。自分には縁のない世界にいる熱い人たちのもの。長年にわたり、それが私のJリーグに対するイメージでした。

2019年のルヴァンカップ決勝での激闘に心奪われて以来フロンターレの応援をするようになってからも、現地観戦へのハードルの高さは変わりませんでした。ファン層としてはかなりライトな方に見えた夫と長男。そんな彼らがふらりと気軽に出かけているのが不思議でした。


夫の申し出を受けて等々力に行くと決めた時も、気後れがなかった訳ではありません。ただ、心のどこかで、行っておかないと後々後悔するのではないか、という思いがありました。

当時、密かに応援していた山村選手が怪我で離脱しており、ロスに陥っていたというのも大きかったと思います。かの有名な「推しは推せるときに推せ」というフレーズが自分事として頭をよぎった記憶があります。

そんな経緯を経て、長男を連れて緊張しながら初の等々力に向かいました。


この試合のこと、今もよく憶えているし、この先もずっと忘れたくありません。

試合前の、その場にいるだけで楽しくてたまらない感じ。試合中の、選手たちの動きから目が離せなくなる感じ。

画面越しでは慣れ親しんでいた各選手のプレーも、それらのプレーから伝わる思いも、全然違って見えました。

雷雨が強く寒さも厳しいという初観戦には決して優しくないコンディション。それでもまったく気にならないくらい「楽しかった」という感想だけが残る時間でした。


この試合の前と後とでは違う自分になった気がします。

帰り道では勝利の余韻にひたりつつも、「次のチケットの発売日はいつだろう」とか「最短で次に行けるのはいつだろう」とかそんなことばかり考えていました。少なくとも今シーズンはホームの行ける試合は全部行く、そう確信していました。

変わったのは現地観戦に対する意識だけではなく。

さほど日を置かずして、迷わずDAZNに加入しました。DAZNで放送しない天皇杯の試合前にはスカパーを申し込みました。

DAZNへの加入についてはそれまでにも何度となく夫婦で検討していましたが、「たぶんフロンターレの試合しか観ないし、もったいないかなあ」「そうだよね」でいつも終わっていました。めったにやらないテレビ放送とテキスト速報だけで、いったいどうして私は満足できていたのか。今となってはもう思い出せません。


金銭的なこと以上に、趣味を全力で楽しむことに対して罪悪感があったのだと思います。

ストライクゾーンが狭く、何かにはまるという経験が少ない私。夢中になれるものを見つけても、いつも長続きしない私。長年生きてきて、そんな自分の「好き」にいつの間にか価値を感じなくなってしまいました。

でも、きっとあの初めて現地観戦した日に、四の五の理屈こねている余裕が吹き飛んでしまいました。価値とかどうでもいいよ、とりあえず少しでも多くフロンターレの試合を、選手を観たいんだよ、と。


今も自分の「好き」に自信を持っているわけではありません。

noteなどで自分のことを「サポーター」ではなく「ファン」と書いているのもそれが理由です。スタジアムやSNSの世界で垣間見えるフロサポさんたちの圧倒的な熱と愛を前にしてしまうと、同じ肩書きを自分に使うことに対し、畏れ多さというか申し訳なさのようなものを感じてしまいます。

しょせん強いときのフロンターレしか知らない、という気持ちもあります。良いときもそうでないときも変わらず応援する、と今は心に決めていますが、それでなくても趣味が長続きしない私、このまま今の「好き」を持続できる確証はありません。

それでも、少なくとも今この瞬間「好き」と絶対的に思えるものがあることに感謝したいし、その事実を大切にしたいです。

それが当社比にすぎない「好き」でも。たとえ近い将来にしぼんでしまうかもしれなくても。


次の試合も楽しみです。私もいい準備をして臨みます。


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