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「仕事にはどのくらいで慣れましたか?」就活生に聞かれて考えたこと 〜社会人生活の息のしかた〜

社会人生活も気づくと3年と半年が過ぎた。

「若手」というと一般的には3年目あたりまでを指すのだろうか、
相場をあまり知らないが、個人的な感覚としては中堅に片足を突っ込んでいるような気持ちだ。

(「4年目?もう立派に中堅じゃん!」と思われたそこのあなた、あまちゃんでごめんなさい!意外と人は大人にならないね)

しかし昨年の同時期、日本橋の中央通り沿いに咲く桜並木の下でリクルートスーツを身に纏い、新生活への高揚感に浮足立つ新社会人の集団を見かけた時に感じた「そうか私は3年目か…」という時間の経過への感嘆とはまた少し違った心持ちなのである。

なんというか、自分はこの3年半社会人として生き抜いてきたよな、という自覚があるのだ。

3年半の間に入社当初には想像もつかなかったような経験をいくつもして、都度傷だらけになった。
(あまりに不器用で、そつなくこなすということが全くできなかった。)
ずっと必死にそれらと向き合ってきたので、あまり振り返るような余裕もなかったのだが、
昨年の秋、縁あって話す機会のあった大学生からこう問われたことがきっかけとなった。

「仕事にはどのくらいで慣れましたか?」

目の前にはこれから就職活動を始める学生。
いい加減なことは言えないと思い、その時は
「うーーーーん…何をもって慣れたと言うかも人それぞれだと思うので一概には言えないけど、個人的な感覚としては2年半…くらいかなあ」
などと曖昧な範囲での返答に留めた。

しかしそのあと頭の中で
「果たして私は慣れたのだろうか?」
「ミスなく完璧に仕事ができるようになったことを慣れというのなら、未だにミスをするし当てはまらないなぁ…」
「だけど入社時の自分とは何か違うと思うんだよな、私が学んだことって何なんだろう…」
と、とめどなく思考が頭を巡った。

それからしばらくして、ずっと頭の片隅に居座っていたその問いに、突然答えが降ってきた。

私にとって仕事に慣れるということは、
「泳ぐ・休むの心地いいバランスを見つけること」だ。

このバランスは人それぞれ違うから、自分で見つけることが何より大事だと思う。
人と比べてたくさん泳げることを誇るでも、あまり泳げないことを嘆くでもなく、自分なりの心地よさを見つけられたらそれが一番だ。

泳ぐって何?となっている人も多いと思うので、
以下に、この答えに至った経緯を記す。

■社会は、広い広い海のようだった

週休2日制かつ土日休みの会社で働きはじめた私の生活は以下の繰り返しだ。
「5日フルタイム勤務→2日休日」
このリズムに慣れるのにまず時間を要した。
「会社員生活が続く限り、一生このサイクルが続くの…?」と思う時、
私には社会が広大な海のように見えた。
どこか目的の島があるわけでもなく、あとどのくらい泳ぎ続けたらどんな景色が見えるのかもわからない。
疲れたなと思っても休めるのは(通常)長くても数日。
ただ、会社員として生きていくにはどうやらこの海を泳ぎ続けるしかないようで。
特にコロナ禍、人と会うことが制限され友人と気軽に集まれなかった頃、
平日5日で使い切った気力と体力をチャージするための休日の楽しみ方をいくつも奪われていた。
それゆえ「楽しみのために仕事を頑張る、お金を稼ぐ」を日々のモチベーションにしていた私はその目的の多くを失い、
「ただ生活費を稼ぐため、言ってしまえばただ生きるためだけに働いている」という思考に至っていた。
広大な海の上をあてもなく、ただひたすら溺れないように必死になって泳ぐ毎日だったのだ。

■溺れた時のこと

泳ぎ続けた私は幾度となく溺れかけ、その度体力と気力がすり減っていくのを感じながら、必死に態勢を立て直す日々を過ごしていた。
そんな日々も、ある日ぷつんと終わりを迎える。
仕事中に起きたあるトラブルによって、職場で過呼吸発作に襲われたのだ。生まれて初めてのことだった。
どんどん早くなっていく制御の効かない粗く大きな息遣いと、徐々に冷えていく指先、止まらない震え。
ひたすらに恐怖だった。

まだ頑張ろう、もう少しやってみよう。
それまでなんとか息継ぎを繰り返しながら守ってきた思いは、圧倒的な恐怖を前に全くもって無力だった。
その後も何日間かは無心で仕事場に行く・作業をこなすことを試みたものの、何もないのに涙が出てきたり、夜に駆ける(YOASOBI)を繰り返し聴きながら、本気でMVの女の子に感情移入したりしていた。
もう無理なんだ。徐々に自身の状態が異常であることに気付き始めた私は、ある日ぱったり会社に行かなくなった。

「溺れたらおしまい。」
そんな強迫観念にずっととらわれていたため、
社会という海を5日フルタイム勤務→2日休日のリズムで必死に泳いでいた自身の足取りを止めた後に残ったのは、先のことを何も考えられない、完全に思考の停止した自分だった。
今から思うとあれは、「これ以上思考し続けたら心が死んでしまうから休んで!」という、無意識的な自分からのメッセージだったのかもしれない。

それが社会人1年目の冬。
今からおよそ3年ほど前のことだ。

■再び泳ぎ始めてから今に至るまで

その後半月ほど休養(休職)した私は、同じ会社で場所を変えて働き始める。
元々はおしゃべりでよく笑う陽気な性格だったが、この頃は完全に人間不信に陥っていた。
「仕事で関わる人のことは誰も信用できない…」と、職場では終始顔が凍りついていて全く笑えなかったことをよく覚えている。

そこから3年。
少しずつ心を取り戻しながら、営業という仕事を続けることができた。
その間大事にしていたのは「溺れるほど頑張らないこと」だ。

同期や先輩と自身を比較しては「まだ足りない全然できてない頑張らなくちゃ!」と足が攣りそうになるほどがむしゃらに泳いで溺れたことを心に留め、
「自分が思う『頑張ってる』の6割くらいの力でいい。それで先輩に遅いと怒られてもいい。無理しない。」と自分に言い聞かせてきた。

こんなんで大丈夫かな…先輩に怒られるのも嫌だな…等思うことは色々とあったが「このくらいなら自分は無理なく頑張れる、心地いい」の感覚を死守し続けた。

そしてしばらく経った頃ふと自分を振り返り
「私泳ぎ続けられてる…!!」
と気づいたのだ。

ミスはまだあるし、先輩と比べると足りないことも多い。
だけどそれでも「なんとかやってきたな」と思えていることが、何より自分の力になっている。
身一つで泳ぎ始めたが、小さいながら舟に乗れたような気持ちだ。

■あの時の答えと、今後の航海プラン⛵

「仕事にはどのくらいで慣れましたか?」の答えは、たぶん相当に人それぞれだ。
あの大学生に聞かれてからしばらく考えたけど、私の答えは当時とそんなに変わらない。
「何をもって慣れたと言うかも人それぞれだと思うので一概には言えないけど、個人的な感覚としては2年半くらいかな」

付け足すことがあるとすれば
「私の中で『慣れた』って言うのはこういうことみたい。どうなっていくのか不安な時もあると思うけど、あなたも自身にとっての心地いいバランスを少しずつでも見つけていけますように。」

今の私は、この数年間でどうにかこうにか作ってきた自身の舟で
「溺れないために泳ぐ→泳ぎたい方向へ、意思をもって舵を切る」
へと移行すべく模索している。

先日友人と「3年後、どんなふうに過ごしていたい?」と話した際、
「3年後も一生懸命でありたい!」と口にしている自分がいた。

「あの時舵を切って、今ここに着いたところ」と言えるように、来年も進んでいきたい。



どこに着地させようか迷って半年くらい下書きに保存していたのだけど、
なんとかまとめられたので公開します✉
年内にできてよかった!

最後までお付き合いいただきありがとうございました💐






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