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「この先ずっと」「絶対一緒」を誓うことが愛なの?


先日記した「人と人との距離感は、別々の線路を走る列車のようなものだと考えるのが心地良い」の話の続き。


近づいたり遠ざかったり。
同じ線路を走ることはなく、どこまでいっても人と人とは他人なのだと思っている。
他人だからこそリスペクトしあえるし、自分一人では思いつかない考えや見えない景色が見えたりして、私にはこの距離感が心地良い。

だがそれゆえ、前回記事の終わりに触れた「大事なシーン」で思い悩んだのだ。
以下に記す。


「この先ずっと、時間を共有していこうって思ってるんだよね?」


↑2023年まとめの記事にも記したように、昨年の春から恋人と同棲をしている。
大柄2名が暮らすには少々手狭な部屋であるため、最近、かねてより希望していた新居探しをはじめた。


それに際し「引っ越します~」の報告を各所にしているのだが、
(「ようやく広いおうちに!!頑張ったね!!」と労ってくれる友人達マジℒℴѵℯ…であるほんといつもありがとう愛している)

20代以降の付き合いあるある、
「この先のことどう考えてるのー?」系の反応も少なからず返ってくる。

「相手に向き合うこと」
それ自体は付き合い方として10代、20代前半と今とで何も変わらないはずなのに、
年齢というフェーズの変化で急にあちらこちらから「この先」とやらを訊ねられ始めるのほんとなんなんだろう…とずっと思っている。
(ただの質問なこともわかるのだが、なんとなく息苦しいのだ。)

「この先」のことはわからない。
未来のことはすべてあくまで想像でしかない。


自分にできることは
・「今」「目の前にいる人」を大事にすること
・そしてそれを続ける努力をすること

だ。
今後もこの想いを大事にしながら、今の積み重ねをしていきたいと思っている。


そんな中、近しい人からこんな言葉も受け取った。
「一緒に生きていくってことは、時間を共有するってことだと思うんだよね。侑希ちゃんはこの先ずっと、恋人と時間を共有していこうって考えてるってことだよね?」

この質問の答えに、大いに迷った。
対人関係における「ずっと」や「絶対」に対して私はずいぶん懐疑的だ。

ただ、こと恋愛関係においてはそうしたものの存在がしばしば重要視され、それがないと「無責任」「適当に考えてる」など批判的に見られがちだ。
(知り合いに上記のような私見を話した際に、そのような反応を受けたことも幾度かある。)

長い付き合いの友人とだって「うちらずっと友達だからね!!!絶対だよ!!!」と血眼で見つめ合ったことなどないのに、特殊な関係性だなぁと思う。

結局、「ずっと」を約束することが相手にとっては安心・信頼につながるんだな~と思い、先ほどの問いには「そう考えている」と答えた。
(嘘ではないけど嘘をついているようで、心にもやもやが残ったのでこの記事を書いている。)

ただ上に載せた23年振り返り記事にも記したのだが
私にとっては「一緒に生きていくこと=対話をし続けていくこと」なのだ。

そして列車の記事でも少し触れた通り

「各々『自分の列車をどう操縦するか』を考えることに専念して、走らせた結果近くを走っていた列車が誰誰だった。」といった形でメインは各々の人生。
対人関係は後からついてくるもので、流動的なもの。

そうも考えている。

だから、恋人に対しては
「絶対ずっと一緒、を約束する」というよりも
自分の人生を生きながら、その上で一緒にいることがお互いにとっての幸せであり続けるように努力していく(対話を続けていく)」のほうがしっくりくる。

20数年生きた今の私が出力できる最大限の誠意はこれだ。
そしてこの努力が生涯続くかどうかは、人生を終える時にしかわからない。

だから「この先ずっと」「絶対」の言葉は使わない。

誰かから見たらそれは不誠実なことなのかもしれないし、
不安を覚える態度なのかもしれない。

だけど、相手に愛情と誠意を伝える方法として
「初めから『この先ずっと』を約束する」のではなく、
カーペットを広げるように、できる限りの「限り」を先へ先へと延ばしていくやり方だってあったっていいと思うのだ。




「この先ずっと」「絶対一緒」を誓うことだけが、愛なのだろうか。










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