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ここからここまで

 明け方まで起きていた。

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 年末になると、その年についての感想はもうまとまってしまっているので、大晦日が近づくにつれて新年への期待は高まっていく。来年はいい年になればいいな、と。

 だから、大晦日の23時59分に時計を眺めて待機しているあの時間は、一年のなかでもほかにない不思議で特別な時間なんじゃないかと思う。と言っても、新年を迎えたその瞬間になにかが変わるわけではないと分かっているのだけど。

 2019年最後の日の自分と2020年最初の日の自分に違いはない。そこに分断はない。今年は、年末番組であるが年末の要素はなにひとつないガキの使いをつけっぱなしにしていたから、昨日からの続きとしての今日、という感じが特に強かった。無理矢理に年明けを実感したくて、ゆく年くる年にチャンネルを切り替えたが、やはりそういうことで気分は変わるものではなくて、だから自分で意識的に区切る必要があるのだと思った。年明けの瞬間が自分を区切るのではなくて、年明けをきっかけにして自分で自分を区切る。これまでの自分と、これからの自分を。意識改革ではないが、2019年とは違う自分を自ら作り出す必要があって、そのためにはやっぱり行動しかない。

 2019年は一言で言えばストイックさを失った年だった。

 いまは言い逃れの時代というか、その言葉をここに書くことはあえて避けるけれど、みんながみんな "それ" を免罪符にして必要な苦痛からも抜け出そうとしている、というのが僕の時代観だ。この時代にあって昔から変わらずストイックなのはスポーツ選手で、日々の練習で鍛え抜かれた体や研ぎ澄まされた感覚を持った彼らの言葉は芯の強さを感じさせて、スポーツには疎い僕ですら記憶している発言がいくつかある。たとえば昨年の引退会見で、後悔や思い残したところはないかと尋ねられたイチローの言葉はぐっと来た。

今日の球場の出来事、あんなもの見せられたら後悔などあろうはずがありません。もちろん、もっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、他人より頑張ったということはとても言えないですけど、自分なりに頑張ってきたとははっきりと言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないかなと思います。
(引用元:https://dot.asahi.com/dot/2019032200005.html?page=2

 最初の一文は有名だけれど、僕としては「他人より頑張ったということはとても言えない」というこの部分。イチローは小3で地元の少年野球チームに入ってからは休みの日など関係なく四年間毎日夜まで練習していたような人で、小学校時代から自分になにかを課してきたのに本人としては「他人より頑張ったということはとても言えない」と。そのストイックさに心打たれる。

 僕など到底及ばない高い次元の話だし、また僕がしていることは反復練習ができるものでも成果が目の前にはっきりと現れるものでもないから、単純な比較はできないのだけれど、このストイックさには見習うべきものがある。

 種類は違うが、シドニーオリンピックで金メダルを逃した柔道家・篠原信一の発言も、知ったのは何年も前だけど時々思い出すもののひとつ。対戦相手のドゥイエに有効が与えられたのは誤審だったのではないかという疑惑に対し、篠原は「審判もドゥイエも悪くない。誤審? 全て自分が弱いから負けたんです」と語った。

 これは誤審があったとしても、判定にもつれ込むまでに勝負を決着できなかった自分の実力不足をまず恥じる発言で、その言い訳をせずに、柔道家としての上を目指す姿勢がかっこいい。僕は「理不尽」という言葉で現実の問題を処理しないように心掛けているけれど、それは案外この発言が胸の内にあるからかもしれない。

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 書きながら思い出したエピソード。

 かもめんたるのラジオに元WAGEのメンバーの小島よしおが出演し、大学時代を振り返る回があった。友人宅で集まっていたところ、彼女から別れを告げる連絡が入った男(これも元WAGEのメンバー)が「俺は今この瞬間からもう一秒たりとも無駄にはできない」と叫んで立ち上がるなり家を出ていった……。

 そのあと部屋に残されたメンバーの気持ちを想像すると面白いし、いてもたってもいられなくなった男の決意がこめられた発言としてこれも時々思い出す言葉である。

「もう一秒たりとも無駄にはできない」、そういう気持ちで2020年はやっていきたいところだが、現状できていない。

 実行できないならお前の決意はそれだけのもの、という言葉があるが。


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