見出し画像

いち早大生として見た『彼は早稲田で死んだ』 学生ならではの弱さが生んだ青春の団結力

映画『彼は早稲田で死んだ』http://gewalt-no-mori.com/

去年か今年に撮られたであろう大学の入学式の日の映像からはじまる。スーツ姿の学生でキャンパス内は混雑し、保護者や友人と写真を撮り合っている。その映像から一変、同じアングルで撮影された1970年代(と思われる)革マル派の集団と煙が舞うキャンパスのモノクロ写真が映され、同時にやや不快なギターノイズが鳴る。
この映画は、前半のドラマパートと後半の証言パートに分かれる。ドラマパートは川口大三郎事件の全貌をオーディションによって選抜された学生が演じ、後半は当時の学生運動に携わった人々への聞き取りが主である。私はこの映画を見るまでは川口大三郎事件はおろか、革マル派、中核派すら知らなかった。事前知識がなくともある程度は内容が追えるようになっていたが、全てを理解するのは難しかった。

前半の川口大三郎事件について。川口は何度か中核派の会合に出席していたことが密告され、授業に行こうとしていたところを革マル派に連行される。現在の34号館の教室(そこは、私が毎週授業を受けている棟でもある…)に監禁され、革マル派の集団に「お前は中核派のスパイだろう」と尋問を受ける。川口は否定するが、スパイだと信じて疑わない革マル派は事実を吐かせようと椅子に縛り付け、丸太や角材で彼の体を強打する。「僕はスパイじゃない!」という悲痛な叫びは届かないまま____。
複雑なドラマはなく、ほぼ「やっただろう」「やっていない」の論理なしの押し問答のみ。論理よりも暴力や声の大きさがものを言うようだ。喧嘩のパワープレイは脚本を書いた鴻上尚史の指示によるものだろうか。当時の学生も暴力を振るうための正当な論理があったわけではないだろうから、「やっただろう」と威圧をかけるしか術がなかったのかもしれない。
後の証言パートで川口は中核派ではなく一般学生だったことも語られているのだが、もし川口が実際に中核派のスパイだったとしてもこの暴力の正当性を担保するものにはならない。己の政治思想に魂を捧げ、その想いを分かち合える仲間と行動を共にし、集団の行動を阻害する敵は息の根を止めなければならないと信じて疑えなかった彼らも、もとは悪人ではない。革マル派が川口に暴力を振るったのは、ただただ純粋で素直な学生たちだったからだ。川口を助けようと現れた友人に向かって放った女闘士の「私たちは革命をしているんだ。お前たちはその邪魔をするのか!」という迷いの無い一言。彼らは信仰心の強い、言い換えれば己の弱さを政治活動で紛らわせたい、そんな学生だったのではないか。
その弱さに限って言えば、現在の私たちの心とも繋がる部分がある。大学の4年間とは、自分に何ができて何ができないのかを問う時間である。この「何ができないのか」を認めることはすごく苦しいからこそ、認めてくれる仲間がいるコミュニティを見つけると無我夢中になってしまう。学生運動での団結は、大学や大人を動かすことができ、不可能を可能にし、自分一人で成し得ないことを実現させることができた。今はSNSを通して自分より優秀な人が目に入ることで「自分はできないことが多い」と思う機会が増え、やり場のない不安はスポーツや表現などのサークル活動に打ち込んだりSNSで同じ悩みを持つ仲間とつながったりすることで落ち着けている。強い団結が減った代わりに、緩やかな繋がりが増えた。良くも悪くも、学生運動はもう起こらないと思う。

証言パートは川口大三郎の友人や中核派のメンバー、書籍「彼は早稲田で死んだ」の著者である樋田毅、当時のことをよく知る人々の証言を集めている。印象的だったのは村井総長の団交を語る人の口調。総長をあと少しで拉致できたのだ、という悔しさと誇りを交えた笑みを浮かべていた。また、暴力を振るわれ怪我をした経験を語る人は何人もいたが、暴力を振るった経験を語った人は誰もいなかった。亡くなってしまう当事者も多い中証言を残すことができたのは貴重であるが、私自身はその証言から何を受け取れば良いのか正直分からなかった。
池上彰による左翼史の特別講座を受ける出演学生から出た質問の中に、「これらの学生運動は現在の私たちの生活にどのように影響が残っているのでしょうか」といったものがあり、池上彰は「大学の机と椅子が固定されたこと」と冗談半分で返していた。椅子や机でバリケードを張ることはできなくなったが、そんな表面的な解決方法で良いのか?とは思う。ドラマパートの中でも、教員2名が川口が尋問されている教室の前を訪れて「もう10時だぞ、早く帰りなさい」と宥めても、教室前にいる革マルの一人が「印刷物を待っているんです。終わったらすぐに帰ります」と言うと教員はそれ以上追求しない。この大学側の節穴さは現在もそう大きくは変わっていないだろう。

当時の映像に出てくる戸山キャンパスや大隈講堂の形が現在と全く同じことで、歴史上の出来事を以前より身近に感じることができた。しかし、歴史を詳らかにすることはできても、現在の学生への教訓を伝えるには及ばなかったと感じた。内ゲバで起こった暴動は許されるものではないが、その暴動の渦中にいた学生にとってはその時間が青春であったというのもまた事実。青春語りにはどうしても脚色がついてしまう。当時の運動を懐古するような雰囲気を証言パートの節々や会場のユーロスペースの客層(恐らく当時学生だったであろう高齢の方達)から感じてしまった。
1972年とは、私の父が生まれた年だ。当時と今の学生では時間の使い方や情熱をかけるものは異なる。しかし、家族や就職にまつわる不安を膨らませたり、自分の無力さや存在意義を見失うというのは案外同じなのかもしれない。それなら当時の学生が起こしてしまった過ちの数々は、これから私たちが起こしてしまうかもしれない過ちを止めるヒントになりうるだろう。この映画を見た学生は、そういったヒントを探して次に繋げるバトンを当時の学生から渡されたのかもしれない。

執筆:2024年6月9日 関口真生(早稲田大学文化構想学部4年)

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,361件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?