新たな親不知がみつかったので、10年前に別の親不知について書いた日記を再掲する

諺によれば、物が挟まったようで、やくざによればガタガタ言わされ、作家川上未映子氏によれば、物事を考える場所かつあらゆる感情を封印する場所(『わたくし率イン歯ー、または世界』講談社文庫)である奥歯をついに抜いた。抜いたのは医者であっておまいは抜かれたのだろうとか言わない。 遡ること三ヶ月前。奥歯がギュンギュン痛み始めた。どうした?キミはそんなに自己主張する子ではなかったろう。となだめすかすが、そんなことに聞く耳はもってくれやしない。半泣きになりながら歯医者に予約の電話を入れた。 医者の見立てでは、痛みの原因は奥歯がのびてきたことで、隣の歯を押しているからだということだった。奥歯自体、はげしく虫歯になってはいたのものの、今回の痛みと虫歯は無関係らしい。 そこから、長きにわたる治療が始まった。 まず、ついでに発見された他の歯の細かい虫歯を治すことにした。優先すべきは痛みを発する奥歯のはずだが、歯医者に通い始めたら、なぜか痛みはすっかりなくなってしまっていたからだ。 途中、助手のねーさん(美人)にセメントの分量を間違えられたり、練りが甘かったせいでなかなか固まらなかったり、待合室の『キャッツアイ』(北条司著:集英社)が意外と面白かったりした。そういえば、うっかり治療中に寝て怒られるという失態もかました。 それにしても、見ず知らずのねーさん(美人)の指が、セメントを固めるためとはいえ、口の中にずっと突っ込まれているというのもなかなかオツなモノである。 そして、先週。前座の治療を終えていよいよ決断のときが来た。医者が提示した選択肢は三つだ。 1)治療する 2)抜く 3)放置する どう考えても(3)は無いワケでだが、(1)はまどろっこしいので(2)にした。 当日、失禁や脱糞してはいけないので尿意と便意を完全に排して治療に臨んだ。社長(注・当時の)に「もんどりうつほど痛いぞー。そりゃあタイヘンやぞー。」と脅されていたから、態勢には万全を期したいではないか。 しこたま麻酔を打った。医者はいつも治療中に「少しゴリゴリするかも知れませんー」とか「少し苦いかも知れませんー」とかイチイチ言ってくれるのだが、「かもしれない」と言ったときのそれは確実に訪れる。こういう妙な日本語が氾濫してるよなぁと思った。 切開などが必要な段階ではなかったので、スンナリと作業は終わった。華岡青洲と西洋医学にマジ感謝である。「困難は排除して乗り越えるべし」という西洋のスピリットがこんにちの医学の礎となっていることは間違いない。そして、その大本は排他的な宗教観だ。異教徒を排除して同化するがごとく、身体の異常も克服してきたのだろう。批判してごめんなさい。 抜かれた奥歯と対面した。茶色くて黒くて欠けていた。しかし、根はしっかりてしており形状も立派だ。思ったより大きい。コイツはコイツで、今まで精一杯に歯として生きてきたと思うと感慨深い。そして、そんな奥歯に対して、あまり深く考えずに引導を渡したと思うと何だか申し訳ない気持ちになった。もうコイツが私のカラダの一部に戻ることは無いのだ。 舌で奥歯の位置を探ると、いままで奥歯があった場所には何も無い。当たり前のことなのだが、つい何度も確認してしまう。麻酔が切れて、だんだん痛くなってきたが、いつぞやのギュンギュンした痛みほどではない。 処方された痛み止めを飲むことは簡単だが、この痛みを体感することを以て、世話になった奥歯への餞別としようと思った。 一日中血が止まらなくて、食事はすべて血の味しかしないというのも中々気分が悪いものだ。

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