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誰かの彼女ではなく、彼の恋人でありたいと思っている。

 私は他人に彼のことを話すとき、彼を恋人とよぶ。周囲の人間は私の恋人を「彼氏」というけれど、私は「彼氏」という表現を好んで使わない。

 特に深い意味はない。
 例えば、同性愛者のひとたちが自分のパートナーが同性だと悟られないように恋人とよぶことがあると聞くことがある。幸にして私の恋人はこの世の中のマジョリティである異性だし、私は自分の性的指向を隠す必要がない。

 私には過去に3人の彼氏がいた。
 私はこの3人の男性を恋人とはよびたくない。彼らは確かに私の彼氏だったし、私も彼らの彼女だったけれど、私は彼らの恋人ではなかったと思う。

 私は過去3人の彼氏のことを、恋愛的な意味で好きではなかった。私は、過去の彼氏たちの彼女という役割を演じていただけだった。

 「好きでもない人の彼女になるなんて」と私を軽蔑する人もいるだろう。それはある意味正しい感情だと思う。もうひとつ不誠実を積み重ねるのであれば、私は彼氏だった男性たちを好きになる努力をしなかった。

 誰かの彼女だった私は、彼氏だった男性よりも好きな男性がいた。叶わない恋を諦めるためでもなく、ただ告白されたから付き合っただけ。彼氏彼女という関係に陥るにあたって他にも様々な要因はあったのだけど、結局はそうなのだ。

 好きでもない人と付き合うことができた。
 好きでもない人とキスができた。
 好きでもない人と、身体を重ねることができた。

 今の私には、もう到底無理だと思う。けれど過去の私にはできたことだった。

 彼女を演じることが楽しくなかったかといえば嘘になるだろう。楽しかったこともあった。それ以上に苦しいこともたくさんあったし、トラウマもたくさんあるけれど。

 私には恋人がいる。現在進行形で、大好きな恋人。怖くなるくらい優しくて、大事にしてくれて、大事にしたいと思えて、失う想像をしただけで涙が溢れてしまうくらい大好きな彼。

 私は彼の彼女でもあるけれど、それ以上に恋人でありたい。声を聞くだけで癒されて、言葉ひとつで嬉しくなったり愛おしさでいっぱいになったりするような、恋人でありたい。

 毎日欠かさず「おはよう」を言いたい。できれば電話ではなく隣に寝ていて欲しい。抱きしめられながら眠る夜は幸せだし、寝起きの声も顔も体温も愛おしくてたまらなかった。

 先日、私は感染症が流行るなか彼に会いにいった。政府が県をまたぐ移動自粛を解除した後ではあったけれど、世間的に褒められる行いではなかったと思う。

 他人からみたら不要不急。それでも私にはとても必要なことだった。

 彼と恋人になってから初めてのデートだった。少し観光をして、おいしいご飯とスイーツを食べて、夜のお散歩をして、あてもなくウィンドウショッピングをした。ただ、隣にいるだけでよかった。

 付き合ってそれほど日数がたっていない頃、彼と約束したことがある。不安感に駆られて恋人である証が欲しいとねだった私に、彼が提案してくれたこと。

 左手の薬指に、ペアリング。

 たった1ヶ月で重たいとか、すぐ別れたらどうするんだと世間はいうかもしれない。ネットにはそういう記事か嫌というほど転がっていたし、何度もそんな記事を読んだ。

 左手の薬指は結婚指輪をはめる指。私も彼もそのことを理解した上で、右手ではなく左手にしるしをつけている。

 私は仕事中も指輪をつけている。もちろん社内規則的には問題もなく、誰かに非難されるようなことではないと思っている。

 一方で、結婚していないのに左手の薬指に指輪をつけることを否定する人がいることも知っている。悪意を持って「浮かれてるね」とか「常識がない」と言われる可能性だって覚悟している。

 私たちは悪いことをしていないと胸を張って言える。私は彼のことが好きで、左手の薬指が世間的に深い意味を持つことを知って指輪をつけている。

 正直、結婚を考えているわけでもない。必要があれば書類を出すこともあるかもしれないけれど、結婚を前提としたお付き合いでないことは確かだ。結婚だけがずっと一緒にいるための方法ではないと思っている。

 指輪をつけて会社へ行って「彼氏?」と聞かれたとき、私は複雑な感情を抱きながら「そうです」とこたえた。

 恋人なんです、と叫びたかった。間違ってはいないのだけど、違うと言いたかった。世間では恋人を彼氏彼女とよぶから、私もあわせてそう表現するけれどそんな薄っぺらな言葉で私たちを表現したくなかった。

 彼氏・彼女は役割で、恋人は関係性だと思っている。

 誰がなんと呼称しようが私たちの関係が崩れるわけではないけれど、私の中で彼氏と恋人は違うものだった。

 私はずっと彼の恋人でいたいし、彼はずっと私の恋人でいて欲しい。

 願わくは、彼と同じ指にお揃いのしるしをつけて数十年の時間を最後まで過ごしたい。それが私が願う、幸福の形だ。


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