ムサビ大爆発完成までの道のり
「アッー!」
誰のせいでも誰が悪いのでもない。
折角編集が終わったカットデータ半分(約2分40秒程)がパソコンの突然のショートの為にぶっ飛んだのだった。(案の定バックアップはしていない。)
阿佐ヶ谷26時、みんなでお金を出し合って借りていた映像研究部部室を衝撃とも絶望とも感嘆とも言えぬ皆の叫びが響き渡ったのであった。
敢えて映像を志す学生達に言うが、上書き保存とバックアップの怠慢は死を表すので忘れないで欲しい。
それは今から13年前に遡るが当時私は映像部という名の自主制作アニメーションサークルに所属した。
美大受験の馬鹿らしさや同世代と波長が合わず、挙句の果てには2年間も浪人した私は全てを投げ捨てて馬鹿になりたいと思った果てにアニメ好きの変人共が集まる映像部に入部した。
当初こそ違和感はあったが、皆とてもアニメや制作に熱心な人間の集まりで私はどんどんと彼ら彼女らに惹かれていった。
考えてみれば、今も昔も彼ら彼女ら程制作に情熱を持った人達はいないのではとさえ思えた。
それは春の終わり頃やる気のない私は大学の図書館で暇つぶしをしていた。
仲間から緊急の集会のお知らせがきたのであった。
何だと思い集会に集まるや部長から「このままでは金がなくて映像部が潰れる」という集会だった。
これはヤバい!と皆が騒ぐ中部長から起死回生のアイデアが提示された。
「なんか話題になる様な凄いアニメ作ってうちをPRしよう。」
正直今にして思えば何とも勝算の怪しい賭けであったが、当時の我々は他に挽回のアイデアもなくそれをやるしかないと思った。
どうせ大学にいたってなあなあな連中とつるんで終わるだけならばいっそ死なばもろともアニメ制作に没頭した方がマシだと思った。
こうして渡邊啓一郎総監督、亀澤蘭副監督の下我々の無謀なアニメ制作は始まったのであった。
さて、こうして映像部初のバトルアクションアニメ「ムサビ大爆発」の制作は始まった。
ここからは良い子の美大生や専門学生は反面教師として我々がいかに無茶苦茶な制作をしたかを見てほしい。
制作するにも最後まで脚本・絵コンテ・レイアウトは監督の脳内にしかなく、監督からの原画動画・背景・編集仕上げ指示は監督の乱雑とも言える走り書きで伝えられた。
当然全員は24時間昼も夜も関係なく(外出するのは大学の出席とコンビニだけ)作業をするが、誰一人として作品の共有意識を持てていない。
挙句の果てには当時の我々は遠慮なしに上書き保存、編集の1発撮り、バラバラのカットを継ぎ合わせる様な絵作りでしっちゃかめっちゃかだった。(当時の我々でまともに授業に付き合った人間等皆無だろう。。)
夏が過ぎ秋が深まり冬も近くなった11月現場は地獄の沙汰だった。
何せ私を含め部員全員寝泊りで紙ゴミと寝袋が散乱し、女子部員に3日も風呂に入らせない鬼畜の所業であった。
山本は過労で水回りでゲロを吐くし、高橋柳澤は制作進行してるんだかしてないんだかわからず兎にも角にも編集を兼業し、監督は相変わらず一人黙々と原画に向き合っていた。
最後の終盤のカット等監督が一日で描いたものだった。
こうして11月4日の午前3時半過ぎにようやく全ての映像が完成した。
しかし、ここで重要な問題が浮上、音声を誰も考えていなかったのである!
誰が何の理由で提案したか最早忘れたが、我々部員の声で音を付ける事にした。
朝焼けが美しい新宿副都心を眺めながら我ら男子部員は映像を見ながら絶叫する様に音付けをした。
こうして映像部の代表作「ムサビ大爆発」が完成した。
残念ながら公開して話題になったものの人が集まる事はなく、映像部は解体。ネット上で作品制作発表する映像研究部が誕生した。
どうぞ皆さん我々部員一同の青春の代表作をご覧下さい。
ちなみにこの13年後。
監督の渡邊はチェンソーマンや呪術廻戦で活躍するトップアニメーターとなり、嘔吐していた山本は劇場版ウマ娘の監督になる等みんなそれぞれ活躍している。
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