三蔵法師

『西遊記』~消滅した中国文化。(上)

これは368回目。中国三大奇書(四大奇書)の一つとされる『西遊記』は、子供も大人も楽しめる、大変稀有な傑作古典です。が、一体あの書は何を言いたかったのでしょう? 長年にわたる誤解や認識不足、あるいは先入観といったものが、わたしたちの邪魔をしているかもしれません。
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中国にはもはや本来の中国文化は無い。

共産革命とその後の文化大革命で、宗教がそれこそ「根絶やし」になってしまったからだ。

文化というものは、その国の精神文化の基底をなす宗教の独自の成熟こそがすべてである。それが、断絶させられてしまったのだから、無理はない。

隣の情緒にきわめて問題を抱えた半島国家は言わずもがなである。戦後、それまでの仏教は人口比率2割。筆頭はキリスト教で3割に達する。

これがフィリピンのようにほぼ全国的にカトリックだというのであれば、文化の均質性や統一性が保たれ、成熟することが可能だが。北朝鮮のように、宗教が皆無、韓国のように完全に分裂した宗教文化では、民族としての、あるいは国家としての成熟が進まないのだ。

信仰のある無しにかかわらず、宗教というのはそれほど重要な民族国家成熟にとっては重要なものなのだ。

その国の宗教、精神文化が成熟しなければ、外来勢力との調整・均衡をはかることもできないのだ。

中国は先述通り、1949年にこれが失われてしまった。6-7世紀以来、連綿と熟成されてきた中国独自の宗教文化=精神文化は、1,300-1,400年の精華を、見事に自ら破壊しつくしてしまったのである。

ここでいう、中国独自の文化、それゆえにこそ中国たりえた文化の核とは一体なんだろうか? それを考えてみようというのが本稿の趣旨だ。

その答えは、『西遊記』にある、と勝手に思っている。

そもそも、孫悟空が問題だ。あれは一体何なのだろうか? ともすると妖怪と思ってしまうが、間違いなく妖怪ではない。

もちろん猿ではない。猿が喋るわけがない。岩から生まれたというが、これを以て妖怪だというのも早計である。なぜなら、雲に乗って空を飛ぶ觔斗雲(きんとうん)の術を会得してるからだ。

これに限らず、孫悟空が用いるのはすべて道教の術である。つまり、仙人だということは間違いない。人でもなく、動物でもない、仙人なのである。しかも孫悟空は天界の金丹を食べていることでもわかる。これは不老長寿の霊薬だ。

福建省順昌県宝山で斉天大聖(せいてんたいせい)の墓が2005年に発見された。斉天大聖は孫悟空の自称である。つまり孫悟空の墓が実在したことになる。墓からは金箍棒(きんこぼう)も発見されている。如意棒(にょいぼう)のことだが、中国では通常は金箍棒と呼ばれている。

単なる想像力の産物と思われていた孫悟空が、実はリアルな存在であったことがわかる。つまり、人間なのだろうが、仙人の術を会得していたか、その修行中の者であったということが推察できる。

『西遊記』によれば、天竺から戻った孫悟空は仏になったとされている。しかし実際には人間界にかなり長いあいだ留っていたようだ。なぜなら、彼の墓が発見されたからだ。

墓は元末または明初に作られたものである。つまり14世紀だ。『西遊記』の三蔵法師(602年から664年)は唐の時代の人物である。

つまり、孫悟空は三蔵法師とともに天竺(インド)への旅を終えてから、およそ700年ほど中国大陸で暮らしていたことになる。あるいは、まったく時代の違う実在の三蔵法師と孫悟空(斉天大聖)を、時代を超えて合体させた作品が『西遊記』なのかもしれない。

だいたい、作者が呉承恩だというのも、現在ではほぼ信じられていない。

ただ、孫悟空が実在であったとすると、『西遊記』で語られた数々の物語も、それなりに合理的に解釈しなおさなければならなくなってくる。ただの空想・妄想・幻想物語ではないからだ。

例えば孫悟空は「岩から生まれた」とされているが、これも正確ではないことになる。そもそも岩から生物が生まれるはずはない。

誕生した地点が岩山だったので「岩から生まれた」と比喩的表現を使ったに過ぎない。

もう一つ、突飛だが否定できないのは、異星人という可能性である。これも確かに否定できない。時空を往来することも可能性としては否定できない。

あるいは、異星人によって「つくられた」特殊能力者である線も捨てがたい。

問題は、孫悟空を始め、異能者(沙悟浄、猪八戒など)たちが、なぜ仏教徒である三蔵法師を支援したのか、という点である。

これが『西遊記』の謎、と言っても良い。

この道教だが、中国の歴史の中では仏教と道教が覇権を争っていた時期が長い。三蔵法師(だけではない)の帰国によって大量の仏典が中国に伝わり、その後長い年月をかけて仏教の教えは中国全土に浸透した。

その過程で道教と仏教は激しい対立でどちらかが壊滅する可能性も決してゼロではなかった。孫悟空(とされる人物、仙人)が唐時代に始まり、元末あるいは明初まで中国に生き続け、留まったのは、仏教と道教の対立を制御して、融合化を見極めていくためだったのかもしれない。

もちろん、孫悟空に仮託された人物は、一人では無かった可能性もある。何世代にもまたがった、複数の聖人たちを、あたかも一人の人物かのように仕立てたのかもしれない。

仮に異星人だとしたら、中国のような多民族、多宗教国家で、仏教と道教が同化したことで、その役目を果たして異世界へ戻っていったのだということも考えられる。

中国には現在、純粋仏教というものは、非常に少ない。文化大革命によって破壊されたものも多いのだが、もともと純粋仏教として残っていたものはきわめて限られていた。

すでに、道教と同化して、仏教なのか道教なのか、わからないほど融合していたのである。

もともと老子に端を発した道教だが、日本では長いこと、両者は牽強付会であって、関係はないという議論が多かった。しかし、フランスでは両者の関係性はあるという議論に立っている見方が強く、今では日本でも、関係性ありという見方が多くなってきているようだ。

少なくとも、孔子を祖とする儒教(支配者階級の学問、支配治世のための理論書)に対して、一般庶民たちは自分たちの精神文化(宗教といってもよい)の正当性に、老子や莊子を祖とすることで論理的な支えを求めたのだろう。

中国というと、すぐに儒教の国であるというコンセンサスが一般的だが、これは完全に間違いである。このことを最初に日本人に主張したのは、長く満洲に居住した橘樸(たちばなしらき)である。

江戸時代、幕府が朱子学を国学としたために、あたかも中国の倫理教説の聖典は、儒教の四書五経であるといったドグマがはびこった。しかし、それはしょせん支配者側の論理を説いたものとなっており、本当の中国「人」の精神文化は、老荘思想に正統的根拠を求め、実際には仏教と同化した道教なのである。

橘の本職はジャーナリストだが、生涯の後半生のほとんどを大陸で過ごしている。陳独秀、蔡元培、胡適、李大釗、魯迅らと交わり、後には満州事変の首謀者である石原莞爾関東軍参謀とも交流がある。

超国家主義的で、重農主義者でもあった橘だが、「合作社」の運動にも関わって、その思想が後世に敷衍していった。

「合作社」というのは、中国農村の協同組合で、信用、運輸、供給、消費、生産などの分野に分かれる。

共産革命後は、中華人民共和国になって発展し、資本主義経済から社会主義経済に転化させる過渡的な役割を果たした。1958年に合作社は人民公社に発展的に解消されて、消えた。(台湾では継承されていった経緯がある)

この橘がつとに口を極めて日本人に主張し続けたのは、「中国は道教の国であり、儒教ばかりを学んでも、本当の中国人の文化性は理解できない」ということだった。

中国文化の専門家であった橘のところには、日本から企業家、政治家、軍人などさまざま人士が、中国とどうかかわったらいいのか助言を求めにやってきた。

往々にして日本人は、「論語」の世界観を中国と同一視する過ちを犯していた。橘はそれを一つ一つ正していったのだ。

道教が、最終的に仏教を取り入れ、受容してゆき、ついには融合・同化していった過程というのが、長い中国文化の形成そのものだったと言える。

したがって、なぜ、道教が仏教を欲したか、それが『西遊記』の謎を解く鍵である。

わたしたちにその答えの鍵の一つを与えたのは、先般紹介した、中島敦だろう。彼の作品の中に、『悟浄歎異(ごじょうたんに)』というのがある。沙悟浄の苦悩を描いた作品だ。
沙悟浄を通して、天竺への旅に同行した仲間たちの仙人の一人ひとりを通じて、なぜ天竺に行くのか、を突き詰めようとしていく。

(続く)

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