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葛藤と卒業 83日目

自己否定する自分と、それを踏ん張って止めようとする自分。

苦しい。涙が止まらない。

人との出会いの中で生まれる感情。人と出会って何かアクションを起こすから生まれる出来事。

逆にいうと、人に出会わなければ一生生まれない感情かもしれないし、出来事かもしれない。

私はなぜ自己否定するのだろう。
そういう瞬間はとても胸が苦しくなって辛くなって泣きたくなる。体の中が痺れてゾワっとする。久々に味わっているこの感覚。

そこまでして自己否定する意味ってあるのかな。
涙が溢れてくる。

ある部分が人より劣ると認識してしまう。自分はできてないからまたダメだと感じてしまう。

でも、そんなこともないんだよ。

と、言える自分も芽生えてきた。

人はアドバイスとして言っているのに、自分の欠点と認識してしまう。
なんでその思考パターンになるのかな。

中学校の時に自分の容姿をからかわれた。
その出来事は、私は人より劣っているんだという認識が芽生えた出来事だった。
その出来事を周りの人に伝えることができなかった。
私は人より劣っているんだと人に言うのが怖かったから。
その出来事は終わらなかった。私は対人恐怖症になっていて、安全な場所から出ると下を向いてしまうようになった。

自己否定の根っこにあるのは、この出来事だと思う。

過去の出来事は辛くとも、それがきっかけで自分とたくさん向き合い、自分をたくさん磨いてきた。

人の言葉で私は劣るという自動的な認識や自分に刃を向けるような感覚。
私が劣るって誰が言ってるんだろう。容姿をからかったのは周りの人だけど、
人より劣ると選択したのは自分だった。
私は劣ってなどいないし、優れてもいない。
私は私。ただそれだけなんだ。

成長して、人に伝えることで道が開くきっかけをもらったり、自分が広がっていったりしていくことを知った。そして私には伝える勇気があることも知った。

そろそろ春も来る。私も自己否定する自分から卒業したい。

私は自分のことをもっと愛してあげたい。大好きでいたい。味方でいたい。
こんなに手のかかる子をもっと大事に、大切にしたい。
それはそれで、そう言われたからとかそんな出来事があったからって自分は劣ると選択しなくていい。私は私であるというだけ。
どんな自分もOK。弱虫で怖がりな私も私。細いのも私。

余裕がなくなると前のめりになって自分しか見えなくなるしわからなくなっちゃうから、そこは自分に余白と余裕を持って。
そういうの含めても私は私。劣るも優れるもない。

こんなことがどんな時も自然にできるようになっていたい。
こう書いたからといって明日から完全に変わっているとは思わない。
そこは私だから、少しずつ自分の身になって、あ、こういうことかなってもっとわかってくるんだろうな。

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