見出し画像

はじめての躁転とそのときにおぼえた夜遊びの話(続き)

 前回の話はこちら

 (続き)
 わたしの夜遊びがだんだんとエスカレートしていったそのころお父さんはいったいなにをしていたんだろう。わたしがこんなことをしているのに見てみぬふりをしていたのかって思われるだろうね。
 お父さんはこのころ頻繁に台湾やベトナムに出張していた。三日で帰ってくることもあれば一週間帰ってこないこともあった。だからお父さんがいない日は時間を気にせずに遊ぶことが出来た。
 お父さんはわたしのことをまったく気にかけていないわけじゃなかった。でも結局は無責任だった。それなのにたまに会うといちいち小言をいったり口出ししてくるお父さんがうざかったし大嫌いだった。お父さんなりにわたしのことをほったらかしにしていることに後ろめたさもあったのかもしれない。だけどどうしたらいいのか分からなかったんだろう。

 お母さんが亡くなってからお父さんはわたしに毎週三万円を渡していた。お小遣いが一万円と生活費が二万円だった。
 そのお金の大半は使わずに貯金していたけど、高校生が持つ金額としてはどうだろう。とにかくそんなわけでお父さんは娘にお金だけ渡してほったらかしにする最悪な父親になってしまった。

 やがてわたしは学校をさぼるようになった。友人たちはみんなわたしのことをのことを心配して、ちゃんと学校に来た方がいいと言った。でもわたしは全く聞く耳をもたなかった。
 そして学校からお父さんに連絡が入ってわたしが学校に行っていないことがバレてしまった。
 お父さんはこの期に及んでようやくわたしと話し合おうとしたんだろう。そしてわたしを叱った。わたしはキレた。

 お父さんのことはそのうちに書こうと思っているけどわたしはお父さんのことが大嫌いだった。お母さんが入院しているときもお母さんが亡くなってからも、わたしがとても傷ついて辛い思いをしているときもお父さんは仕事最優先で家にもいなかったしわたしのことなんかほったらかしだった。お父さんのせいで入院したことだってあったんだ。だから今頃になって父親面すんなや!っていう気持ちが強かった。とにかく大喧嘩というかわたしが一方的に怒って家を飛び出した。そして野口の家に行こうとした。

 でも野口はわたしのことを露骨に邪険にした。そのときに知ったんだけど野口にはわたしに内緒で付き合っている女がいた。わたしは野口に遊ばれていただけだった。野口は結局わたしを一晩しか泊めてくれなかった。
 それは誤算だったし野口の裏切りに傷ついたりもした。でも冷静になればわたしだって野口を裏切っていた。でも野口なら何日間でも泊めてくれると思っていた。ところがわたしはたった一晩で行くところがなくなってしまった。
 結局つぎの日に家に帰った。つくづくヘタレな女子だった。

 そしてお父さんはわたしの面倒をきちんとみると覚悟を決めたらしい。お父さんは仕事の負担を減らすことにしてできるだけわたしのそばにいるといった。でもそのときのわたしにしてみればなにを今さらだったし大迷惑でしかなかった。わたしは大学を卒業するまでの間お父さんとは碌に口をきかなかった。

 そして何故だかわからないけれどあんなに夜遊びに夢中になっていたのが嘘のように治まって大人しかったわたしにすっと戻った。
 野口とは別れたし夜遊びで知り合った人間関係も清算した。とにかくそうしてあっけなく高校生らしい生活に戻った。

 そのころにはもう高校二年生の一学期が終わろうとしていた。

 こんな具合にほんの三~四か月の間だけど不真面目な女子高生になって窮屈だった自己を解放できたように感じていたし、こんなことをしている間は嫌なことを忘れることが出来た。

 でもこのときから嫌な思いをしたらすぐに誰かしらに構ってもらって甘やかしてもらおうとする悪い癖がついてしまった。そう望めばそれをかなえてくれる男性を見つけるのはそれほど難しくなかったし、そうやって甘やかしてくれる男性と関係をもつこともあった。そしてその習性は二十歳を過ぎてから発症した双極性障害の治療を受けるまで続いた。

 まだ高校二年生の女の子がいったい何をしていたんだろうっていまは思う。もうすでに双極性障害だったのかもしれない。だとすれば辻褄が合うんだけど、どうなんだろう。
 でもこれは完全に言い訳に過ぎないのだろうけれど,
このころのわたしにはこうして過ごすことが苦しさから抜け出す唯一の方法だったし、それ以外のやり方なんて知らなかった。
 わたしはわたしなりに地獄を抱えて苦しんでいた。でもほとんどの人はただの反抗期だって思うだろう。そして甘えたことを言うなって叱るんだ。
 だれも他人の心の中なんて分かりっこないんだ。わたしだってそうだよね。そしてだれだってそんなもんだよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?