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いまでも亡くなった母から愛されたくてたまらない

 わたしは自分を苦しめている物の正体が知りたい。そして、それらと折り合いをつけれるようになりたい。

 それは自分のことや自分が考えていることを書いているうちに叶うのかなって思っていて、それがnoteを始めた理由のひとつだし、なんだかんだとありつつも書き続けている理由のひとつである。

 その中のひとつにわたしが十四歳のときに亡くなった母のことがある。

 母についてはいろんな思いがあって書かずにいられないときがある。でも書いてすぐに消してしまう。文章が乱れて散漫になることもあるし、どうしても自分の思っていることを素直に書くことができなかったりもする。

 母は厳しい人だった。小学校の教諭をしていてそのせいかどうかは別にしてもとても真面目だった。真面目というか堅物だったというか。とはいえ当時まだ子供だったわたしにはそんなことは分からない。いま振り返ってみて多分そうだったんだろうなと思っている。

 そんな母は癇癪もちだった。もしかしたらわたしのように精神疾患を持っていたのかもしれないって思うこともある。

 すぐにカッとなってはわたしにあなたは駄目な子だって厳しい言葉を投げつけ、稀だけど食事を食べさせてもらえなかったことがあったり、叩かれたり。叩かれたところに痣が残ることもあったし、学校に登校する前に叩かれて頬が腫れたまま小学校に通学したこともあった。

 父はそのことを知らなかったし気づかなかった。父は単身赴任や長期の出張が多くてほとんど家にいなかったし、父がいるときはそんなことはなかったし、わたしも父に言わなかった。
 
 わたしにはひとをイライラさせるところがあるみたいだ。それは子供のころからだしきっといまでもそう。鈍くて察する能力が低くて物わかりが悪くてうすのろでおまけに滑舌が悪いからイライラさせてしまうんだろう。だからわたしにも母から叱られるだけの理由があって、もっとわたしが母が望むような子供だったら母もわたしに優しくしてくれたんだろうと思うし、わたしが悪いんだと思う。

 わたしは母と一緒にいるのが怖かった。いつもおどおどしていた。だから緊張して余計に失敗してしまっては叱られた。でもいつも母の側にいた。母のことが好きだったし、今度こそ優しくしてもらえるかもしれないと思っていたからだと思う。

 母から褒められたくていろいろと頑張った。それでも母から褒められたことは滅多に無かった。そして母はわたしにとても厳しい母親のまま亡くなった。わたしは母からもう褒めてもらうことができないと思ったら、急にどこかに放り出されたような気持ちになった。

 いまでも母から愛されたいし褒められたい。障碍者になっても一生懸命頑張ってるねって褒められたい。どんなに辛くても仕事をして、笑顔で振る舞おうとして頑張ってるね、って褒められたい。大変なこともいろいろあるだろうけれど挫けないでって励ましてほしい。

 母さんに会いに行きたいって思う。

 母はきっとわたしのことを愛してくれていたはず。わたしがもっと一生懸命頑張っていたら母だって私のことを叱って叩いたりはしなかっただろうし、よくやったねと褒めてくれたんだと思う。わたしはもっと母から受け入れてもらえるように頑張らなければいけなかったんだろう。

 でも毒親という言葉を知ってからは、人によっては「そんなの虐待だよ」と思うような育てられ方だったのかもしれないと思い始めているわたしもいる。優希は悪くないよって言ってくれる人もいるんだろうか。わたしは母のせいでこころに傷や変な影響を与えられているのかもしれないんだろうか。こころの奥底では母のことを恨んでいるのだろうか。

 でも人からあなたの母親は毒親だと言われたくはないし、そう言われたらわたしは怒る。その人とはもう接触を断つだろう。

 母について考えることが出来るのはいつもここまで。これ以上考えることが出来ないし、しんどくなる。この文章にしてもたったこれだけのことを書くのに20時間ぐらいかかった。
 
 これからも書き続けていくうちに自分のこころの奥底にあるどんなものが姿をあらわしてくるのだろう。そしてわたしはそれに耐えられるのだろうか。

 

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