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【短編小説】テバナシ

「……モトコ、大丈夫?」
 ユウタは、まるで遠く離れた乱層雲の向こう側に目を凝らすように、急に黙り込んだモトコの心を覗き込もうとした。
「あ、ごめんね、ユウタくん。北国はもう雪の季節かぁと思って」
「あぁ……」
 刻々と暗くなっていく帰り路を歩きながら、ユウタは目の前に降りてきたひとひらの雪を両の手の平でそっと受け止めた。 
「ついに今年も本格的に降ってきたな」
 ユウタは独り言のように呟いた。
「札幌の中心部も積もるかも、って天気予報に書いてあったよ」 
 モトコはこの時間を楽しむようにゆっくりと歩く。
「よくチェックしてるんだな」
 ユウタもモトコと同じようにゆっくりと歩く。
「いつ降るのかなってついつい気になっちゃって。あ、ごめんね、ユウタくん。さっきは急に黙り込んじゃって」
「いや……」
 ユウタが白い息の流れていく様を眺めていると、静かに笑うモトコの声が聞こえてきた。
「まだ高校生だった頃はさ、ユウタくんと一緒にいても会話が中々続かなかったりして。昔は沈黙が怖かったんだけど」
「ああ、あれだろ、満月の夜」
「うん。でも今になってみれば、一緒にいられるだけで幸せだ、って思うな」
 モトコは街角のイルミネーションに目を細めた。
「うん……一緒にいられたらそれだけで幸せだ」
 ユウタは噛み締めるようにモトコの言葉を繰り返した。


 そして、しばし沈黙が流れた。お互い何を話そうかと一瞬思案しかけたが、そのうち、先程の会話の内容を確かめるように、沈黙を味わい、楽しみ、やがて根比べのように黙り込んでいる自分達がおかしくなってきて、二人とも我慢できなくなってくつくつと笑い出した。
「……ごめんな」
「え? 何が?」
「俺のせいで、最近はこうやって帰り際に二人で話すことくらいしかできていなくて」
「ううん、こういうのも好きだよ、私」
「あ、でも、クリスマスには時間作るから」
「うん。忙しい時期にごめんね」
「いいんだって。クリスマスくらい息抜きしないと」
「何だかちょっと緊張するなぁ、久し振りにユウタくんとちゃんとデートするなんて」
「何だよそれ」
「ユウタくんは? 緊張しない?」
「別にしないよ」
「そっかぁ。ふーん」
「何だよ」
「それってさぁ、私にもうトキメキを感じていないってことじゃないの?」
「え! そんなことないって!」
「トキメキ感じてる?」
「えーっと……」
 普段は大人しいモトコだが、ユウタが焦る様がおかしいらしく、意地の悪い質問で追い詰める。
 ユウタは頭を掻きながら落ち着きなくきょろきょろと視線を動かす。
「感じてないの?」
「いえ……トキメキ感じています……」


 ユウタの声は小さかったが、それでもモトコは満足そうに笑った。その後、ユウタは恥ずかしい言い回しを誤魔化すように咳払いをした。
「ごめん、ユウタくん。楽しくなっちゃって」
「いや、擦れ違ったおっちゃんがこっちを興味深げにじろじろ見てたんだよ」
「あらまあ。おかしなセリフ、道端で言うからだよ」
「モトコが言わせたんだろ」
「そうだけど」
 モトコは口を尖らせて落ち葉を蹴飛ばした。
「そういえばヤマウチがさ」
「出た。ヤマウチくん」
「今の俺、アイツくらいしか会話する奴いないんだよ。で、そのヤマウチもさ、俺達のことに興味津々で。クリスマスは予定があるのか、彼女いる奴が羨ましい、ってうるさいんだよ」
「そうなんだぁ、男子も女子も変わんないもんだね。私の大学の友達もさ、ユウタくんと私の関係がドラマチックで憧れる、小説にしてネットに投稿したい、なんて言ってたよ」 
「何だよそれ。そんなにいい関係でもないのにね」
 ユウタは口をついて出てきた言葉に慌てて「あ」と声を漏らしたが、すぐに「ふふふ」とモトコが笑ったのでほっとした。 だがまた、モトコの意地の悪い質問が待っている。
「私達、いい関係じゃないの?」


「いや……」
 弁解しようと口を開いたが、その時不意に吹いてきた北風にユウタは思わず口をつぐんだ。
 すると、思い出したように体が寒さを訴えてきた。
 いつの間にか雪が靴に染み込んで靴下まで濡れている。
 毎年毎年そうだ。冬なんて来ない、寒くなったのは気のせいだとバカみたいに思い込んで、夏靴のまま、薄着のまま過ごして、気が付かないうちに冬が来ている。雪が降ってきてようやく、そうか、やっぱり冬が来るのかと思い知る。
 いつもそうなんだ。部活の大会だって、試験勉強だって。だらだらと何もしないまま日々をやり過ごして、気が付いた時にはタイムリミットを迎えている。
 そうだ。もしかしたら、モトコとの関係だって……。
 寒い。
 こんな時、彼女の手を握るべきなんだろうな。
 そう思いながらも、ユウタはそうしなかった。そうできなかった。


 ユウタはぼーっと歩いていたが、ふと顔を上げるともう自分の家の前まで辿り着いていた。
「モトコ」
「うん」
「家、着いちゃった」
「……うん」
「飯食って風呂入ったら、また連絡するから」
 ユウタは振り返ることもなく、玄関の方へと歩いていった。
「それじゃあまた」
 夜の帳の降りた札幌の町外れ、雪の降りしきる中、ユウタが新雪を踏む音が暗闇に響いた。









「それじゃあまた」
 街灯り煌めく東京の街中、雲一つない空の下、モトコが枯葉を踏むと乾いた音が鳴った。
 モトコは、まるでユウタの心を覗き込むように、遠く離れた下弦の月に目を凝らした。
 今度会った時、さっきは言えなかった言葉を直接ユウタくんに伝えよう。


 ユウタは電話を切った後、イヤホンを外しポケットにしまった。
 ハンズフリーの通話はまだ慣れない。人目も気になる。大きい独り言を喋りながら歩いているのではないかと勘違いしてじろじろと見てくる人が多い。 
 でもこれがあれば活動を制限されることなく電話をすることができる。最近はお互いが家へと帰るタイミングを合わせ、その時間に電話をしている。そうすればまるで一緒にいるように、例えば並んで歩いて帰っているかのように会話することがができる。
 だけど、どこか直接会って話すのとは違う。直接会わないと言えない言葉が恐らく存在する。時にはうまい言葉が出なくとも、例えば手を繋げばそれだけで伝わっていた何かがきっとあって、でもそれは、電話だけではどうしても感じ取ることができない。お互いが手の内を隠して駆け引きをしているような、不気味な距離感がある。モトコと電話をすればする程、春から離れた二人の距離が更に離れていくような感じさえする。
 一緒に東京の大学へ行こうと約束したのに、モトコだけが大学に合格して東京での生活を始め、ユウタは札幌の実家で浪人生活を送っている。
 会えない日々が続いている。ユウタの心の中に焦りと情けなさがしんしんと降り積もっていく。
 約半月後、クリスマスの頃には大学が休みになるため、モトコは実家のある札幌に帰ってくる。センター試験が近いとはいえ、せっかくの機会なのでクリスマスにはデートをしようと伝えたのは、二人が離れ離れになったことに罪悪感を抱いているユウタの方だ。
「……何だかちょっと緊張するなぁ、久し振りにモトコと会うなんて」
 今度会った時、俺とモトコは一体何を話すんだろう。

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