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脱サラして離島にUターン。慣れ親しんだ故郷でみる新たな景色とは。|松浦 充さんのお話

「実家の神社を継がないのは後ろめたいというか、忍びない感覚があって。それに、東京での忙しい生活をこの先ずっと続けられるのかなっていう不安もありました」

そう話すのは、島根県の隠岐諸島にある小さな島『西ノ島』で暮らしている松浦充さん。
実家の焼火神社を継ぐために昨年12月、東京から地元、西ノ島に戻ってきた。

「正直継ぐことに対して、最初は強い意志があったわけではありませんでした。神社の後継者は結果として世襲が多いけど、それって単なる慣習なわけで」

「何より自分が神職になりたいと思っていても、奥さんや家族に賛成されない場合が多い。自分が継ぐとなれば、脱サラして離島に移住することになる。そんな話、妻はなんて思うだろうって」

西ノ島の神職は、お父様を含めて3人。
このままだと近い将来、地元の神社で祭式を行う神職がいなくなる。

「父から一度も継いで欲しいと言われたことはなかったんですけど、もし継ぐならこのタイミングだぞって言われて」

「思い切って妻に話したら、なんか迷うことあるの?って感じで(笑)僕より継ぐことに対して前向きでいてくれたのは、すごくありがたかったですね」

神職としてのメインのお仕事は、お祭りのとき。
お祓いをして、お供え物を奉げて、祝詞をあげる。

西ノ島では、春と夏頃に集落ごとのお祭りがあり、2月には焼火神社で『初詣り』という大きなイベントもある。

今年の『初詣り』は、宮司のお父様を補佐する役割で携わった。

「親戚に神社関係の人が多かったので、小さい頃から祭りは自分にとって日常でした。家族で行う年間行事のような感覚ですね」

「神職としての仕事も、仕事というより活動だと思っています。それだけで生活できるお金が稼げるわけではないので。神社業界の9割以上くらいの人は別の仕事もしています」

松浦さんも、普段は西ノ島町観光協会の職員として勤務している。

「観光協会に入ったのは、単純に人手が足りなかったからです(笑)僕の場合、神社を継ぐために戻ってきたので、仕事にはあまりこだわりがなくて。島で困っているところに配属された感じです」

「観光協会は西ノ島の玄関口になるところなので、色んな問い合わせに答えなければならない。実際に仕事をしてみると、島のことでも知らなかったことの方がむしろ多かったです」

一度地元を離れたからこそ、気づけたことも多い。

「僕、島を出るまで西ノ島の海を綺麗って思ったことがなかったんですよ。だって、子どものころからそれが当たり前の景色だったから。他の海を見て初めて、西ノ島の海は綺麗だったんだって思いました」

透き通った海をのぞくと、魚が泳いでいるのが見える。
西ノ島を含めた隠岐諸島は、島全体が世界ユネスコジオパークに認定されるほど、自然豊かな場所だ。

「島を離れていたとき、思い出すのはやっぱり海の風景でした。実家がある波止はしっていう集落に、海に面した鳥居があって。小さい頃、よくそこで遊んでいたんですよ」

「鳥居のところに座って眺めていた海の景色が、なんとなくずっと記憶として残っている気がします」

慣れ親しんだ故郷に戻ってきて、約半年。
新しいことに挑戦してみて思うことは?

「神職の仕事も観光協会の仕事も、初めてやることばかりですが、小さい島でやるからこそのやりがいがあります」

「自分のやったことが周りにどう影響を与えているのか、見えやすいというか。自分がこの島にいる価値を感じられる気がします」

島での生活は、自分の存在を少し大きくしてくれる。

「神職の仕事も観光協会の仕事も、まずは1人でまわせるようになるのがこれからの目標です」

「でも、その他にもやりたいことはたくさんあります(笑)音楽が好きなので、音楽のイベントを企画したりとか。今度、知り合いの彫刻家の方を東京から呼んで、個展を開くイベントも企画してます」

「島に戻ってくるかどうか、実は結構悩みましたが、こうしてやりたいことをやれる環境があるので、戻ってきてよかったと思います」

「これから、自分が面白いと思うことをどんどんやっていきたいですね」

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