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ねぎ妹という、名前のわけ。

こんにちは。ねぎ妹です。
前回、初めてのノートでした。アップした後、ちょっと興奮し体温上がり、そして、すでに燃え尽きた感、、。
でも書こう、だって父のことはまだ何も書いていないんですもの! メラメラ。
今日は、前回の自己紹介で書けなかったことを書こうかと。
ラジオネームでもある、ネギ妹の由来。
あ、これまた父とは関係がないんだけど、、。

1971年ごろ。一番最初のラジオの思い出が、車で家族4人の遠出。祖父母の家へ向かう道中だったような、うろ覚え。
でもしっかり覚えていることは、ラジオからの曲。
突然ラジオから、軽快なリズムが!
「チュチュ ポマ シェーリー マ シェーリー♪」
このフレーズが果てしなく繰り返される。
「わ〜、素敵な歌声だー。あぁ、英語、英語の歌だよ〜〜。」
フランスのポップスター、ミッシェルポルナレフ。曲名はシェリーに口づけ
そう、フランス語だったの、、。ちっとも英語じゃなかった。
それが私の、初恋の歌となる。
私のラジオの記憶はここで一旦終わる。

大人になり30歳直前にアメリカに渡り、それからまたさらに年月が経った2002年の冬、母の入院で数ヶ月間の帰国。
大変だ、一大事だ、我が家のおっかさんが。
母の大病。家族みんなが初心者だったから、手探り困惑泣き笑いで、みんなで濃く濃く生きた3ヶ月。いろんな意味で宝の日々であった。

あ、、脱線。母との最期の話ではなかったのだ。ラジオだったのだ。

そうなの、母の入院での数ヶ月間、父と姉以外で私の心の支えになってくれたのが、AMラジオ。庶民的なお喋りが、妙に心を落ち着かせてくれて。FMラジオは逃避やノスタルジック方面にはめちゃ効いただろうけど、AMは現実から逃避することなく、でも気持ちをいつも落ち着かせてくれる大切な相棒になりました。

庶民的なAMラジオは、そうだな、優しく効く処方箋のよう。
大沢悠里のゆうゆうワイドも、そのひとつ。お色気大賞ってのもあったなぁ!
小沢昭一的こころ」も、両親の世代にこっそり割り込んで聞いている感が、ちょっと楽しかった。
あーー、また長くなりそう、本題に入る前なのに!

端折り端折り。

そんなこったでそれ以来、日本にいてもこっちにいても日本のAMラジオをよく聞くようになったのです。今はポッドキャストやyoutubeがあるから、海外からでも気軽に聴けるしね。(Youtubeのは著作権侵害問題があるだろうから、聞いているって大きな声では言えないが、。小さい声でも、だめか。)

それはさておき。時代行ったり来たりでごめんなさい、私の20歳前後に戻って、1980年代。

既にスーパーマーケットが当たり前の時代だったけど、どの町にも商店街は、まだしっかり健在。我が家も食材は、近所の各商店で求めていました。
そのひとつの、八百屋さん。帰宅時には、よく母から野菜を頼まれていました。
なぜお魚やお肉ではなく、野菜だけを頼まれるのか、、。
彼女は知っていたのです、私が微妙に間違えた物を買ってきちゃうことを。細切れを薄切り、とか。ロースをヒレとか。魚に関しては、何を間違えたのか覚えていないが、色々あったに違いない。

で、ある日、野菜のわけぎを母に頼まれた。漢字で書くと「分葱」という、ネギ。
最近はあまり見かけないけど、今で言う「あさつき」的な感じ?
長ネギよりも細く、あさつきよりも太い、「わけぎ」。
薬味としてもよく使われていた、あのおネギ。

そのネギを買いに、いつもの架線下の八百屋さんへ。
時間はよく覚えていないけど、混んでいたので、たぶん夕方。
狭いお店にはたくさんのお野菜。奥にはお肉屋さんとお魚屋さんも続いていたから、通路も行き交う人で賑わう。
私は狭い通路の向こう側にあった分葱を見つけ、近くにいた女将さんに言いました。
「すみませ〜ん、その分葱くださ〜い!」
、、ん? 違う、、。なんか違った。何かが違った?
と0.5秒ぐらいの間に「違う」が、頭に3回ぐらい。
、、あ。やだよ、名前を間違っちゃったみたいだよ、、。
分葱に果てしなく似ているだけど、野菜じゃない、、。

、、脇毛
「すみません、脇毛ください」

その後私は言い直したのか、または女将さんが気づいてくれたのか。
覚えているのは、すんごく恥ずかしかったことと、ちゃんと買うことはできたことと、帰り道に「さすがにこの間違いは、、。」とうなだれたこと。

で、それからしばらく経った後、また分葱を母から頼まれる。
どんだけ好きなんだ、このネギを!
私はあの間違いを思い出し、今度は間違わないように言わなくちゃ、と頭の中で練習しながら八百屋さんへ向かうのです。
私がこれから買うものは「わけぎ」です。「わけぎ」です。「わきげ」じゃないくて、「わけぎ」なのです。
分葱。脇毛じゃない。分葱。脇毛か? 違う、分葱だ。

八百屋さん、また混んでるよぉ。他のお客さんも沢山いるよぉ。
さぁ私。間違えないで、ちゃんと言うんだ。ゆっくり言えば大丈夫だ。
しっかりと、間違えないで。
すごく慎重に、はっきりと。
そして私は女将さんに向かって、言った。

「すみません、、、、わきがっ!」  

なんてこった、、。
言い終わる前に大間違いに気がついちゃったから、「ください」も言えず止まっちゃった。それも勢いついて最後が「がっぁぁ!」みたいな感じで。
わきが。脇臭。
もはや野菜でも毛でもない、、。

この後、ちゃんと買ったのか、どうやって帰ったのか。お使いに他の野菜も頼まれていたのか。お金払ったのか? 記憶ゼロ。

この時からずっと、「分葱」をすらすら言えくなってしまったの。
今も、わぁけぇぎぃ。と、ゆっくりとしか言えない。ほんとに、、とほほ。
このネギがポピュラーでない今の時代に、たいへん助かっています。
もしどこかで見かけたら、きっと湿疹が出てしまうかもしれないほどに緊張しちゃうと思う。

で!それから何年も何年も経ってから。

何がきっかだったか、姉にこのネギ事件を話したことがあって。
そうしたら、彼女は私に言ったのだ。

「大丈夫!私も似たようなことやっているから。」
「、、、、?」
「ついこの間、八百屋さんで下仁田ネギをくださいって言う時ね、間違えて、
下ネタ頂戴ぃ〜!と言ってしまったのよ、、。同じ同じ。ねぎ姉妹。」

さすが、私の姉だ、、。惚れてまう。

それから、また数年。父がまだまだ元気だった時代。
帰国するたびにいつも聞いていたラジオ番組に、ふとアメリカから葉書を出したくなり。
いちリスナーである私の声も届けてみたい、と!
父が、釣り好きが興じて釣竿作りの世界へしばらく行ってしまった時のように、ラジオ好きが興じてハガキ職人をしてみたくなったのです。
ちょっと違う? まぁまぁ。
で、出してみました、お葉書。メールでだけど。
内容は、家族の話だったような。
初めてのパチンコは玉がよく出るように、初めての葉書も読まれたのでした。
嬉しびっくり。
だがしかし、パーソナリティは言ったのです、
「アメリカにお住まいの、50代 Yukiさんからのお便りです!」
日本の友人から、「あれは多分お前だな、、」と知らせを聞き、知った次第。
そうだった、しっかりフルネームと年齢を書いて送ってしまったんだった。
だって読まれた暁月にはプレゼントが届くのを知っていたからさぁ、
だって欲しいじゃない。プレゼント。ちゃんと送られてくるためには、私の個人情報をちゃんと書かないと!

でもまずかったな、、父や家族の悪口を書いて、しかも父はその番組のヘビーリスナーだし聞かれる可能性が大だし。運よくその日は聞いてなかったらしく、ほっとしたけど。
それでも初めての葉書を読んでもらえた有頂天から、また送りたい気持ちがむくむく。でも名前は読まれたくない、、。でもプレゼントは欲しい。
あ、そうか!今度は、父の耳に入っても分からないように、ペンネームで送ろう。そうすりゃなんにも気にすることはないのだ。

どんな名前にしようかしら。
LAにお住まいのリスさん、とか?
住所不定のポエムさんとか? 
そんな可愛いガラじゃないしな、、何かないかしら、、。

そしてふと、ぴったりな名前を思いつく。
そうなの、あなたが思ったその通り、

ねぎ妹。

姉妹揃ってのねぎ事件。私は妹だから。シンプルに、「ねぎ妹」。
で、その時から、ラジオネームはそれに統一。

と、なんだかこうやって書いてみると、
必要だったのかしら、この自己紹介Part 2って、、。

ラジオから母を経由してネギ、そしてラジオネーム。
父のこと。書いてない。

ということで、次回からは父の話をしていこうと思います。
また遊びにきてね。

おしまい。



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