見出し画像

12年ぶりに正社員に戻ります。

以前執筆した記事から約1ヶ月。

この記事の下に「私は今、新しい世界に行こうとしている」という旨を書いたと思うが……。それが、まさに今日、書こうとしていることだ。

突然のお知らせで、驚く方がほとんどだと思う。
私は今年の6月10日より、正社員に戻ることとなる。

そもそも、なぜ私は起業したのか

私は27歳のときに、自分の会社を立ち上げた。
当時3年続く会社は10%以下と聞き、まずはその10%になろうと思い、F1層に向けたマーケティングプロモーション制作会社として、今の会社を登記した。

現在ではD2Cであるバッグ事業が収益の大半を占めているが、私は以前、完全紹介制の女性コミニュティを運営していて、そのメンバーは当時300人を超えていた。それをベースに会社員時代、企業のプロモーション企画の立案やイベントの代行、SNS運用などをボランティアで手伝っていた。その功績が認められ、それをベースに起業した。

創業当時の想いは、「半径25メートル以内の人たちを幸せにするモノをつくる」というものだった。女性の口コミ力の強さは、私が一番よくわかっていた。いいものを作れば、そしてコミニュティで培った口コミ力を活かし続ければ、きっと「商品」は広がり続けると思っていた。

ーー結論から言う。
その答えは甘かった。

思い知る「実力不足」

私が、会社を経営したこの12年間の間で、文字通り一番心血を注いで注力したのは、長男を妊娠する直前までやっていた、ファッションレンタルビジネスだ。今も業界をトップで走り続けているエアークローゼットさんを中心に、私たちが参入した当初は、いわゆる"ファッションレンタルブーム"だった。エアークロゼットさん、サスティナさんなどと同様、弊社が展開していた店舗型ファッションレンタル「Licie」も、同様に注目を浴び、WBSにともに特集されたこともある。

WBSに出演した翌日からは、身に覚えのない「知人」が大量発生した。苦笑

複数の投資家から資金調達し、表参道の一等地に路面店をオープンした。モノゼロ・人ゼロ・カネゼロ、のところから、「服をシェアする」という新しいカルチャーを作ろうと奮闘した新規事業だったが……。

「あったらきっと、絶対世の女の子たちは幸せになる」たったそれだけの想いだけで走ってしまったこの事業。しかし私の実力不足により、弊社の力だけでは軌道に乗せることができず、結果的に当時、限定的に店舗を構えようとしていたエアークローゼットさんに店舗の運営ノウハウを資産譲渡する形となった。

その時、思い知ったのは、「想い」や「企画力」だけではどうにもならない、ということ。ちょうど妊娠したこともあって、自分の身の丈にあった、無理をしないビジネスをしよう……という考え方にシフトした。

経営方針は次第にコンパクト化

私は、このファッションレンタル時代に負ったダメージが、予想以上に尾を引いていた。スタートアップの経営者なら予想がつくかと思うが、資金調達をし、事業をスケールさせなければいけない立場なのにも関わらず、全く黒字化のくの字も、光すら見えない状況……これがどれだけ精神をえぐられるか。

そして、それを教訓にこれからは身の丈にあった事業を展開しようと、私は妊娠中だったが知り合いの会社に頼み込んでアルバイトをさせてもらい、前職にも頼み込んで仕事をもらうなどし、資金を貯めた。その資金をもとに、マザーズバッグを製作した。そこから今も経営スタイルは変わっておらず、極力固定費を下げて、業務委託ベースでチームを組んで、動いている。

しかし、当時は子育てもあって、このコンパクトな経営方針が正しいと思っていたが、2,3年前から「ずっとこのままでいいのだろうか」という気持ちが徐々に私の中で膨らみ始めていた。マザーズバッグ市場はすでにレッドオーシャンだ。それなりの投資をしないと、大きな成長は見込めないし、コンパクトに経営しているばかりでは、成長速度は一定どころか、下降する可能性だって大いにある。どうしたらいいのか……事業の方向性を迷いあぐねている時、例の事件が起きた。そう、倉庫の大規模火災だ。

倉庫の火災により全在庫が消失

今から2年前、2022年の9月、弊社の契約倉庫が火事にあった。不幸中の幸いで、怪我人などはでなかったものの、在庫は全て使えない状態となり、向こう約半年分の売上が消失した。なぜなら、2週間前に生産したものを納品したばかりだったからだ。

この火災直後は、周りの助けもあり、なんとか乗り越えた。しかしこの火災で負った痛手は一年後ぐらいに、ボディブローのように効いていき、じわじわと弊社の資金繰りを苦しめていった。そして重なるように、円高による原価の高騰・生産コストの値上げ……。もうこれは私だけでは切り抜けられない、プロの力を頼ろう、という結論に至ったものの……すでに時は遅く。誰かに頼るためのまとまった資金は、もう弊社にはなかった。

それでもなんとか会社を存続させようと、いろいろと動いたものの、なかなか劇的には変わらず。そんな中、プライベートである事件が起き、ついに私の心が、ポッキリと折れた。

これ以上はもう、一人で頑張れない

私一人では、事業を大きくスケールさせることができない。
この結論を認めるまで、かなりの時間を要した。

周りは、私のことをとてもデキる女性だと思っている。その期待に応えたい。ちゃんと頑張りたい。でも、挑戦はし続けていても、上場とか、バイアウトとか、絵に書いたような成功体験が一個もない。

私は、「失敗者」なんじゃないか。

2,3年前、「ずっとこのままでいいんだろうか」と感じはじめたときから、「正社員に戻る」という選択肢はずっとあった。しかし「自分は失敗者なんじゃないか」という想いから、企業にとって、自分は価値のある人間ではないのではないか、という恐怖があった。

しかし、前出したとおり、プライベートで大きな事件があり、幸か不幸か、キャリアを本格的に見直そうと動き出さざるを得なくなった。10年後、20年後、自分はどうなっていたいのか。今のように、コンパクトな経営方針のままで、一生を終えるのか……。考えた結果、私はもっと上に行きたい、という野心があった。けれど、自分の会社では、限界が見えていた。

そこで出した選択が、もう一度企業に入り、その中で自分の実力を最大限発揮させていくという選択だった。

挑戦できたことが"財産"

経営者として未熟なことを認めるのは、私にとっては恥以外の何者でもなかった。実際エージェントの面談をはじめて入れた時、自分の市場価値はどのようなものか……客観的に判断されるのが、とても怖かった。

しかし、思っていた以上に、私の評価はとても高かった。
あるエージェントはこう言った。

「木原さんは失敗ばかりとおっしゃいますが、世の中、挑戦すらできていない人がほとんどなんです。木原さんは臆せず、何度もそれを繰り返してきた。それは立派な財産なんですよ」。

その言葉が糧となり、私は自信を持って転職活動をに挑むことができた。どこの会社にジョインすることとなったかは、なぜその会社を選んだのか、明確な理由があるので、別記事で深く掘り下げたいが、とてもワクワクする企業に縁があり……結果、そこに参画することとなった。

来月から二足の草鞋生活

「正社員に戻るのはわかった。では今の会社は?」というと、もちろん経営している会社も動かしていく。実はそのようにできるようすでに調整はつけていて、平日の朝や土日に少し動かして、会社を回せるように整えている。

「だいぶハードなんじゃないですか……?」といろんな方向からストップがかかりそうな、私のこの選択。実は私が心がポッキリ折れた経緯を知っている友人知人からは「もう休んだほうがいいよ」とアドバイスをもらったこともある。どうやら私は、"頑張りすぎている"ように見えるらしい。私は自覚はないのだけれど、周りから見たら、そうなのだという。

正直、私も、休みたいほどには、今は心がしんどい。
でも、今ここで休んでしまったら……私は思い描く"高み"にいけなくなる。

苦しい。とてつもなく苦しいけれど、今が私にとって、頑張りどきなのだ。

3年後、5年後に心から笑うためには、今を踏ん張る必要性がどうしてもあった。

最後に

この選択をすることに、私はずいぶん時間がかかってしまった。なぜなら私の周りには、上場させたり、バイアウトさせたり、いろんな成功を収めている経営者仲間がたくさんいるからだ。彼ら彼女らと比べて、経営者として無能な自分を心から憎んだ。けれど、今は違う。

私は多分、輝ける場所が違ったんだと思う。経営者としては目が出なかったけど、スタートアップ的な組織の中で動く人材としては、一流になれるんじゃないか……と今は思っている。これから参画する企業も、私のそういったポテンシャルや能力に、評価をしてくださっている。

たくさん、悩んだ。たくさん、迷った。
でも今は何も後悔していない。
不安があるとしたら、子どもたちに寂しい想いをさせないか…というところだけれども。

そこはしっかり、外部リソースにも頼り、時間をつくって、向き合うようにしてきたいと思う。

長くなったが、今日はここまで。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?