今だからこそ、日常に音楽を。
皆さま、こんにちは。ユキムラです。まだまだ自粛を余儀なくされている方も多いかと思いますが、いかがお過ごしでしょうか。読んでくださっているあなたの日常を少し変化させられたら、と願いつつ、この記事を書きます。
突然ですが、あなたへひとつ質問です。
今日一日、あなたはどんな音楽を耳にしましたか?
もしこんな質問を問いかけるとしたら、おそらくこう答える人が多いでしょう。
「移動中いつも聴いているプレイリストに入っている曲」
「Youtubeで気になる動画を見ている時に流れていた曲」
「TVでドラマを見ていた時にBGMで流れていた曲」
または「今日は特に聴いてない」
あなたはどうでしょうか。この質問にどう答えますか?
私がここで感じていただきたい事、それは「音楽」とはいったい何を指しているのか、という事です。
例えば、あなたが今、カフェでゆったりコーヒーを飲みながらこの記事を読んでいるとします。(「私、コーヒー飲めないんです」という方は、お好きな飲み物を飲んでいるとして)その時見える風景を想像しながら、この動画を見てみてください。
あなたがふと外に目を向けると、煌々と照らしていた太陽は雲に隠れ、ぽつぽつと雨が降り出しました。少し開いた窓からは、しっとりと湿った雨の匂いが感じられます。そのイメージで、次の動画を見てみてください。
さあ、この2つの動画から何が聴こえましたか?
人々の話し声、席へ向かう人の足音、マグカップとソーサーが触れる音、椅子を動かす音、レジの電子音、そして、しとしと降り続く雨音・・・
この動画には、果たして音楽は流れていたでしょうか?その音楽は、カフェのBGMだけでしょうか?
私がもし、あなたと一緒にそのカフェにいて、冒頭の質問「今日一日、どんな音楽を聴きましたか?」と問いかけられたとしたら、私はこう答えます。
「今、私の耳に聴こえているすべてが音楽ですよ」
私にとって「音楽」とはそれほど身近なもの、と常々感じています。人は、日常において、特段ひとつの音に注力して聴こうとはしません。人々の話し声もカップの音も、レジの電子音も雨音も、私たちの耳には、すべて溶け込んだものが音として聴こえています。
私にとって、これもまた「音楽」のひとつで、私やあなたの日常を縁取り彩るもの、だと捉えています。
先程の動画で流れていたのは、いわゆる「生活音」「環境音」と呼ばれるものですが、中には「雑音」と捉える方もいらっしゃるかと思います。
「雑音」の意味を調べると「不規則で不愉快に感じられる音。うるさい音。」とこう書かれています。はたして先程聞いた音は「雑音」だったのでしょうか?
「聞いていてなんとなくほっと落ち着く」と感じた方にとっては、きっと「いつも、またはよく耳にしている音。そして、その場所で楽しい時を過ごした事がある」から、ほっと落ち着くことが出来るのだと思います。
もし、「ただただうるさい雑音」と感じたのならば、「仕事に追われてイライラしていた」「他の客がうるさくて早々に店を出た」「店員がカップを割ってビックリした」など何かしら不快な経験をしたのかもしれません。
その音を聴いた瞬間に、あなたが何をどう感じたかによって、その音が「音楽」となるか「雑音」となるかが決まる、と私は考えています。言ってみれば、あなたの日常という映画で流れているBGMなのです。
「音楽」と感じて、その瞬間ごとすべて楽しむか。
「雑音」と感じて、その瞬間をただやり過ごすか。
ささいな日常は、あなたの心ひとつで変えられる。私はそう願っています。
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