キャリアの振り返り②

前回の続き。

報酬面、経験面、或いは、学習面でも、個人事業主の期間はそれなりに充実しており、キャリアの競争力はともかくとして、自分自身がやるべきことをきちんとやっている、という感覚はあった。

特に仕事では百点満点ではないにせよ、手を抜かずに、一生懸命に向き合ってきたと思う。

が、27歳で始めた個人事業主としてのキャリアも、30代も前半になり、心境にも少しずつ変化が生じ始めていた。

まず一つに、僕が選択した個人事業主としてのキャリアは、どうしても「蓄積」が少ないと思った。

基本的にプロジェクトは、100%投入の掛け持ちしないスタイルだったから、いくつもの顧客を抱えるといったことがない。固定客というものを作りたくなかったし、身体は一つしかないから、新しい業界での経験を望むとなれば、現実的に固定客は作れなかった。するの、毎回新しい顧客、新しい業界に向き合うことになる。前述の通り、これは自分自身が望んだことでもあったが、年齢を重ねるにつれて、どうも責任ある態度ではないと感じてきた。

一つの方向性として、法人化し、コンサルティングファームとして運営する方法はある。こちらの方がよほどキャリアの方向性として整合的だ。現にかつて同僚でコンサルティングファームを立ち上げている人は、片手で収まらない数いる。コンサルティングは、マッサージ屋と同じで、それぞれのレベルやレイヤーで相性が良ければ継続客は捕まるものだ。もちろん人を雇用する責任は重たいものがあるにせよ、コンサルティングという生態系のどこかに居場所を見つけるのは不可能では無いとは感じていた。

ただ、僕自身はコンサルティングそのものの限界を感じるようになっていた。プロジェクトで連続して、自分自身が納得できる形にならなかったからだ。

クライアントの期待値を満たすことと、クライアントが現実に成果を上げることは、まったく同じではない。時に相反することもある。

僕は前者の期待値を満たすことに関しては、どの案件であれ、クリアできる自身はできた。広くニーズを理解すること、2-3歩先まで見据えて提案を行うこと、これができれば、クライアントは大抵は満足してくれるものだ。

一方、成果を上げるといった条件は一気に難易度が高まる。そもそもクライアントの方向性からして、不可避的に失敗になる、つまり、入り口から失敗が運命付けられている、という事は良くあることだ。例えば、新サービスでそもそもの需要がなかったり、コスト構造上の黒字化が不可能であったり、業務改革の目的が曖昧であったりと、さまざまである。少なからずコンサルティングを経験し、物事の成り行きに対して、感度を高めてきた身として、「確実に失敗する」と断言できるケースは複数回あった。正直、半分以上と言っても良いかもしれない。

こういう失敗の類は、初期の初期段階で、簡単な計算や、簡単な問いかけをすれば、回避できるものばかりなのだ。基本的な問いかけが無く、組織的な判断が加わってしまったが為に、後戻りができなくなる。残念ながら、個人事業主の僕に仕事が来る段階では、もう後戻りができないケースがほとんどだ。外部に委託する稟議を書くには、相応の事前手続が必要だからである。

よって、僕はクライアントの期待値は満たしことはクリアしながら、本当の成果に結びついていない現状に、一つの行き詰まりを感じてしまったのだ。

また、いま発注側にたっても感じるが、クライアントに取り、コンサルタントに対するマインドシェアは主担当のカウンターパートの人でも、5-10%程度であろう。刹那的に関わる外部者としての見え方になる。この重要性の低さも、人生を賭ける仕事としては不十分に見えた。

もちろん、コンサルタントの中には中長期のパートナーとして信頼を勝ち得る人もいるし、中には非常に知識も洞察力もあり、尊敬できる人もいる。戦略系や総合系のパートナーの方の存在はつくづく貴重であると、いまアドバイスをもらう立場で感じる。長く関係を保ちたいと考える人もいる。

ただ、個人事業主の後半戦の僕は、どうも行き詰まりを感じていた。実際、組織に所属して十分な経験もない自分がファームを作って、能力ある人を惹きつけられるほどの魅力や甲斐性があるとも思わなかった。

こうしてキャリアの変更を模索する事になった。

僕が何となく描いていたのは、プライベートエクイティの投資先に入り、経営企画部やCxOとして働くキャリアだった。これは傲慢に思われるかもしれないが、多くの中小企業と接してきた経験からして、CFOといったポジションをこなす事には相応の自信はあった。つまるところ、能力よりも、責任であり、コミットメントの問題であると思っているからだ。数百億円規模の会社でも能力と意欲のあるCxOを抱えるケースは決して多くはない。中小規模の上場会社でもそうだ。伝統的大企業であれば猛烈な選抜プロセスがあり、役員に価値あるのは相当な運と実績と意欲を兼ね備える必要があるが、殆どの企業はこんな贅沢にタレントを抱えていないものだ。

事実、個人事業主として、PEから受託して投資先を改革支援するケースはそれなりにあった。身近な選択肢に見えたのだ。

が、一つこのキャリアで問題であったのは、「完全に予想できる」ことであった。特に再生案件では、クライアント社長と一緒になって、時にはかなりコンサルタントが影響力を発揮して業務を進めることがあった。よって、どの役職者が何を行なっており、どのぐらいの能力があるか、といった点は常に見定めてきた。再生フェーズではガバナンスの担い手が銀行にシフトし、時に現経営陣から移り変わる過渡期にあるから、第三者の人物評価でもかなり影響力がでるのだ。

こうしたやり取りから、オフィスのどういう風景で、どのように指示を出し、どのようなことを会議で話し、商談ではどんな対応をして、銀行とはどんな話をし、監査法人からどんな質問を受けるか、そんなことまでイメージできた。僕の年齢で、そんな事を言うのは傲慢だと思うかもしれないが、かなりビビットに想像できてしまうのは、本心であった。もちろん、戦略を作り、方向付け、事業でどのような成長を実現していくか、といったポイントは常に創造性が求められるもので、業務内容が分かるからできる、というものではない。

しかし、それでも、エキサイティングだと感じなかった。すぐ隣にあるキャリアだと言う印象があった。30代で完全な先が見えるキャリアを選択するのは、心のどこかで迷いがあった。

また長くなってしまった。続きは追って書く事にする。


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