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「ハドリアヌス帝の回想」--Mémoires d'Hadrien

かつての愛読書というにはおそらく若さゆえ身に沁みてこなかったマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想」、もう何度目か分からないが数年ぶりに紐解く。

死を予期した第14代ローマ皇帝、ハドリアヌスによる独白録の体裁だが、読み手はすぐにも強大な帝国を誇った古代ローマ帝国へとタイムスリップする。しかし、一人称の皇帝の肉声はむしろ、時間と場所を越えて目の前にやってきて、いつしかわたしたちと同時代人となる。ともすれば、皇帝がユルスナールに乗り移ったかのような錯覚を覚えるが、でもそこに作家の影はない。

迫りくる死に向き合う皇帝の思考はきわめて抑制され、鋭い輪郭を描く内省はときに哲学的でときに詩的であり、晦渋ななかにも死を見据えたものだけに宿る厳しさがあるように感じる。かつて「死」も「老い」も知らなかったゆえに、理解できなかったのはこのためだろう。

瞠目すべき、いや、陶酔すべきは硬質で彫塑的な完膚なきまでに美しい日本語だ。訳者の多田智満子さんは詩人でもあるが、フランス人であるユルスナールが日本語で書いたかと思われるほど、ここでもまた訳者の影は浮かび上がってこない。あるのはただ知性と美しさ、それはともに皇帝の思考の軌跡のままに、実に明晰さと結びついているように思われる。大理石を彫ったかのような手触りは、皇帝の威厳と気位そのものだろう。

目に見えない「声」は洞察に満ちた概念という形となり、2000年前のローマから「目に見えて」聞こえてくる。いやそれでも死を眼差すハドリアヌス帝は、人間の普遍、つまり生と死を、読み手のすぐ隣で語りかけるのだ。

美の愛好者は、結局、いたるところに美を見いだし、もっとも下賤の鉱脈からさえ金鉱を発見する…私には、世界が美しくあることに責任がある。

ーーハドリアヌス(AD76-138)


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