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頼み事をするということ

人に頼み事をするのがすごく苦手だ。
頼み事の大小にかかわらず、自分の要望があってそれを相手にして欲しい時、頭の中でシミュレーションを繰り返して、どう伝えることが一番誰もが気分を害さずに実行してもらえるかを何通りも考える。それも何日も前から。

相手に気を使い過ぎる傾向は今に始まったことではないけど、頼み事に関しては年々酷くなってきている自覚がある。

頼み事案件が発生した時、私がまず実行するのは、スマホのメモに頼み事シミュレーションを書き綴る。相手からこう返ってきたら…の返答を更にシミュレーションし、その返答に対するシミュレーションを幾通りかに分けて書き記す。シミュレーション地獄。

こんなことを毎回していたら、伝える前にシミュレーションの時点で胃が痛くなる。寝る前もお風呂に入っていても散歩をしていても頭からずっとシミュレーションが離れない。何日も前から。

そして、いざそれを伝える場面が目前に迫って来た時は、激しい動悸に襲われる。最早伝える頃には、頼み事をただ伝えるというだけの至ってシンプルな行為が、数日前から寝る間も惜しみ創り上げたシミュレーション台本を間違わずに読み上げることができるかのプレッシャーにすり替わっている。

なぜこんな無駄な労力と心労を駆使してまで頼み事をしないといけなくなってしまったのか。

数日前、ある身近な人にこの気の使いから上手くこっちの要望を伝えられず、結果それを見透かされ指摘されたことで心のダムが決壊し、少しまた考えるきっかけが訪れたので改めて考察してみた。

そもそも私が頼み事が苦手にある理由には、

・初めから断られることだけを予測している
・私の頼み事は相手に負担をかけるのではないかという勝手な予測

おそらくこの2点が大部分を占めている気がする。これらはそもそものマイナス思考が起因しているが、その裏を読み解くと、どうしても自分の思い通りに要求を叶えて欲しいエゴがあって、その通りに実行してもらうことでしか正解ではないと考えているのではという節も否めない。

これらを払拭し、軽やかに頼み事をできる人になる為にはどうすればいいのか考えた。

・断られることを恐れない
その一件を断られたことで、自分を全否定された訳でも嫌われた訳でもない。相手が私の頼み事を負担と感じるか感じないかは、私の物差しだけでは測れない。
・要望を伝えた後は私の思考の領域ではないと理解する
相手の判断や思考をシミュレーションしたところで憶測でしかない。予測と反する答えが来た時に対処できず勝手にパニックになるのは無意味。
・常に申し訳ないと思うクセを手放す     人に何かをしてもらうことは申し訳ないことではない。私の要望を聞くことで、相手にとってメリットになることだって大いにあり得る。
・要望を聞いてもらった時は全力で感謝する
頼み事上手になる為には、これが一番大事かもしれない。

思えば、私は人に頼み事をされるのはすごく好きだ。周りの人から頼られていたいって常に思っているし、私を頼って私が力になったことで助かったって思ってもらいたい。いつも私の手柄で元気になって欲しい。綺麗事でもなく心からそう思っている。

少なくともこれまでの職場での私はいつもそんな役割だった。それが、仕事を失ってから人に頼み事をされたり頼りにされることから遠ざかってしまった。人と接する機会が圧倒的に激減したから当然のことなのだけど、人から頼りにされることが生き甲斐だった私には、誰一人の力にもなっていないのに、してもらうことばかりが増えているような気がする現状が耐え難いのかもしれない。

でも、きっと周りはそこまで私1人だけに目を向けている訳ではないし、私のひとつの頼み事にも集中して目を向けていない。

積み重ねた思考のクセを解いていく作業は簡単なことではないけど、軽やかに生きて行くために必ず変わっていけると信じて気を留めていきたいと強く思う。


お読みいただきありがとうございます。 感情から湧き立つ陰と陽を解き放つ場を作りたくてnoteを始めてみました。試行錯誤の拙い文章ですが、わたしの綴る言葉のかけらが、どなたかの陰と陽にも寄り添うことがありましたらそれは幸いです。どうぞよろしくお願いいたします🌳