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アンフェアなことを見て黙っているのは、被害者であっても罪だ

「僕の宗教では、アンフェアなことを見て黙っているのは、被害者であっても罪なんだよ」

過去にイスラム教徒の同僚に言われた言葉です。
言われたのは、たしか日が落ちかけるような時間。
午前4時頃からのラマザン月の断食で、疲れ顔の彼はこうつけくわえて帰っていきました。

「まぁ、君はイスラム教徒ではないから、この教えに従う必要も筋合いもないけどね」

初詣は神社、お盆にはお経、冬になったらクリスマス…と、
多くの日本人がそうであるように、特定の宗教を拠り所にせず、少しずついろいろな宗教にふれる生活をしているけれど。

「あぁこれが宗教か」と明確に思ったのは、あのときだけかもしれません。

その教えがコーランのどこに書いてあって、なんと呼ばれる考え方なのかも、この言葉が正確なのかも、いまだにいまいちわかってはいません。

でも当時とても悩んでいた私には、その言葉が救いに思えたのです。

こんな私を守るための戒律があるのだ、と。

「戒律を守るために声をあげなさい、それは正しいことなのだから」
というイスラム教のスタンスに、救われたように感じたのだと思います。

苦しい状況にある人をみんなで救うための仕組みとしての宗教。
それは普通の励ましの言葉とは少しちがって、とても合理的で、守ってくれる安心感のあるものだと感じました。

だからといって、そこから深い信仰の道へ……というようなドラマチックな展開はないのだけれど。

そういう長年受け継がれてきたルールに基づく拠り所を持つという意味で、信仰を持つ人はきっと強いのだろうなぁと思います。

そして、傷ついた人が「声をあげる」ことを強力に後押しする仕組みって、宗教でなくても、どこの世界にも、あるといいよねとも思います。

弱っているときに声をあげるのって、とてもこわいことだけど、そこをちゃんとサポートすれば、本人やまわりの人はもちろん、社会が変わっていく気がするから。

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