書くことってやっぱりおもしろい。

書く前はぼんやりとしていたものが、書くことによって輪郭がはっきりし、一つの形になることがある。

自分でも予想外の結論に。

昨日書いたnoteも、「美容師さんと話すの楽しいな」とふと思ったところから何となく書き始め、最終的には「名前をつけにくい関係性の人がいるって、いいかも」という結びになった。

こういう結びになることは、全然予想がついていなかった。

書いている中で、理由を考えたり、関連することに思いをめぐらせたりすることによって生み出された、一つの気づき。

書き出す時にはどんな気づきがあるのかわからないから初めはちょっと不安なのだけど、だからこそおもしろいのかもしれないなと、最近は思う。

感じたことを手放すのは、もったいない。

もちろん「気づき」ありきで書き始めることもある。

気づいたこと、学んだことを伝えたくて、残しておきたくて。
最終的にはそこに持っていけるように、エピソードなどを交えて文章を構成していく。

でも時々、はっきりとした「気づき」や「学び」になっていなくても、このことについて書きたいな、と思うこともある。

でも「文章にするほどはっきりしたものじゃないから」とか「結局何が言いたいんだか、自分でもわかってないから」という理由で、書くことを諦めてしまうことがあった。

でもそれって、すごくもったいないよなあ…と。

それでとりあえず、形にはならなくても書いてみるか…と書き始めてみると、自分が予想もつかなかった結論にいたることもあって、あ、なんかこういう書き方もいいな。これも書くことのおもしろさだな、と思った。

自分の中に、落とし込まれる。

書く中でだんだんと形になっていく気づきは、それまでに自分の中にはなかった新しいものかもしれないし、もしかしたら自分の奥底や無意識化にもともとあったけど言語化されていなかったものかもしれない。

どちらにしても「言葉」というはっきりとした形になり、目の前に現れることには変わりない。

書くことは、伝えたいことを伝えるため、感じたことを残すための手段でもあるけど、「伝えたいこと」や「残したいと思っていること」がはっきりしていない状態だって、別に書いてもいい。

書くことを通じて、それが見つかることもあるのだから。

何か言葉にしたいことがあるとわかっている時に、書く。
自分すらも気づいてない気づきに出会うために、書く。

どちらの「書く」があってもいいのかもしれないな。

***

「何を言いたいかわからないから」で書くことをやめてしまうのはもったいない。

何を言いたいのかは、書くことを通してわかってくることもある。

自分が何を言いたいのかわからない時も、書くことでそれに出会えることを信じて、これからも書き続けたいなと思います。


そんなわけで、今日はここまで。



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