見出し画像

グラデーションを見出していける人になりたい。

岸田奈美さんが主催する「キナリ杯」。

結果発表が昨日でした。

「おもしろい文章」を募集しているということで、「おもしろい文章…?そんなの書けるかなあ…?」と思ったのですが、募集要項を読んでみると、つまりは自分がイイ!と思えればなんでもいいのだろうと解釈し、私も応募していました。

応募したのはこちらのnote。

めちゃくちゃ応募があるみたいだし、絶対選ばれないだろう。

そう思って応募をしたのですが。


なんと、、



あのnoteが、、



まさかの、、



選ばれませんでした!


そんなに都合よくいかないですね。
今回は受賞ならず、でした。
というかたぶん、惜しくもなかったんじゃないかな(笑)

でも、結果発表がされるまえの岸田さんのnoteにはこんなふうに書かれていたので、それだけでも書いてよかったなと思います。

杯という名前をつけてしまった以上、わたしが選ばせてもらったのですが、わざわざ頭の中を目に見える言葉にして、文章を書いて、noteで発表というド面倒なことをやってくださった時点で、選ばずともみなさんが優勝なんです。

そうだ、優勝なんだ。

魂込めて書いた文章は、みんな優勝だ。

岸田さん、魂をかけてこのコンテストを開催してくださり、本当にありがとうございました。

若干の悔しい気持ちはありつつも、受賞された方々のnoteをいくつか読んでみました。

選ばれたのは、納得。

お、おもしろい…!!

ああ、おもしろいってこういうことを言うんだな、ということがわかりました。「読む」「読み進める」というよりも、ぐいぐい引きこまれて気づいたら最後まで読んでいた、という感じだった。

中にはエピソードそのものが強烈なものもありましたが、どちらかというとエピソードの強烈さよりも、その人がどの角度から光を当てて書いているのか、そしてそのことについて何を感じたのか、何を考えたのか、という点が「おもしろい」人が選ばれているように感じました。(まだ全部は読めていないけど)

今読んだnoteの中で、いいな、好きだなと感じたのはこちらのnote。

タイトルだけ見たときは「夢を語ることと、風呂…?」と思いました。

そしてサムネイルの所だけ見ると「誰かが夢を語ることを止めてはいけない」という主旨なのかと思ったのですが、そういうわけではなくて。
「天気予報」や「降水確率」というたとえを用いながら、独特の視点で「夢を語る」とことについて書かれていて、きっと「思慮深い」って、こういう方のことを指すんだなと感じました。

自分なりの論。

文章がおもしろい人って、一般論でも、それと対極にある反対論(こちらもある意味一般論)でもなく、その間にあるグラデーションを見出すことが上手な人なのかな、と思います。

先ほどのnoteだったら、「夢を語ることはいい」「夢を語ることを止めるなんて野暮だ」という論と、「夢を語ることを止める人の意見も聞いた方がいい」という論が一般論寄りだとすると、そのどちらでもないんですよね。どちらを肯定しているわけでも、どちらを否定しているわけでもなく、グラデーションの部分をうまく言葉にして表現している。

もちろん一般論を書いちゃいけないというわけではないし、一般論と言われていることも、書く人によってとらえ方や書き方が違えばみんな違う文章になってくるから、それも十分おもしろいと思います。

でも今、ここにまだ存在しない考え方、そういう視点で考える人は少ないだろうという考え方を見出すことができて、それを自分なりに言葉にすることができたなら、それは読んでいる人を「なるほど…」と唸らせるような文章になるのかもしれないなと感じました。

見え方が変わるから、文章も変わる。

ただ、そういう風に誰もが持っていない視点で物事を捉えられるようになったなら、「おもしろい文章を書ける」ということはもはや結果でしかない。

その時点で、おもしろい文章を書ける、というよりも、世界の見え方が変わっている。

世界の見え方が変わったから、おもしろい文章が書ける。

世界の見え方、変えたいなぁ。

まだ知らない世界の捉え方、知りたいなぁ。

とにかく問うんだ。

ただ、どうやったら見え方が変わるのか、どうすればグラデーションを見出すことができるのか、という所は正直よくわかりません(笑)
言うのは簡単ですが、実際は難しい。

でも、世の中にすでに存在している考え方について、「本当にそうなのかな?」と問い続けることはできるかもしれません。

ある考え方をそのままそっくり受け入れるのではなくて、自分なりに問い、自分なりにいろいろや角度から考えてみる。それをくりかえすことで、グラデーションの部分が少しずつ見えてくるかもしれない。

そういう意味では、誰かの文章を読むことは、グラデーションの幅を広げていく行為なのだと思います。
自分にはない論、自分にはない視点を得られるチャンス。

もともと持っていた視点、他の人からもらった視点、それらを合わせていくと、気づいたらいろんな角度から物事が見えるようになっているかもしれない。


読む、書くを通じて、思慮深い人になりたい。

思慮深い人になって、おもしろい文章を書けるようになりたい。

そう思いました。


そんなわけで、今日はここまで。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?