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書きたいことを書くのと、読んでもらいたい気持ちは両立できる。

noteを1月に初めて、気が付けば4か月たった。

毎日投稿する!と決めすぎずに(一時期だけあったな…)、自分のペースでやってこられたと思う。

もともと言語化することが好きだから、自分の考えを整理したい、残しておきたい、と思ってnoteを始めた。

自分のために書き始めた部分が大きかったから、誰に見てもらえなくてもいい、読んでもらえなくてもいい、と思っていたけど、、、

やっぱり読んでほしい!!

です。笑

「見てもらえたかなぁ」とか「リアクションもらえるかなぁ」とか、いつもどきどきして、そわそわ気にしてしまっている自分がいて、気がちっちゃいなぁ…といやになるけど、でもやっぱり気になっちゃう気持ちは事実で。だからその気持ちは認めることにしました。

うん、書くならやっぱり読んでもらいたいよ…

考えをめぐらせるきっかけに。

じゃあどうして読んでもらいたいと思うの?
読んだ人にどうなってほしいの?と考えてみた時に。

恥ずかしげもなく書くと、読んでくれた人の心を動かしたい、とか思っちゃうわけです。はい、まだ全然読まれていない身でこれを言うのはかなり恥ずかしいですが…

文章から感じること、気づくこと、思うこと、発見することってたくさんあって、自分自身これまでいろんな人の文章に心動かされてきた人のうちの一人。

だから私も、誰かが読んだ時に、心が動くまではいかなかったとしても、ちょっと考えをめぐらせるきっかけになったりしたら嬉しいなって。それは共感でも、反感でも、どちらでも。

って、これって一番最初に書いたnoteにも書いてあるじゃん!ということを、ぐるぐる考えた後に気がついた。

あわよくば10人の人が読んで、1人でも「なるほどな」でも、「違うな」でも、その人の考えに影響を与えられたら、それってすごいことだなと。

うん、そうだ。初心に帰ろう。

多くのリアクションをもらっている人を見ると、正直うらやましくなってしまう気持ちもある。

でもよくばらずに、10人のうち1人でも見てもらえたら。ん?10人中1人って結構確率高い気がしてきたぞ。

100人見て10人がじっくり読んでくれる、その10人のうち1人でも何か反応してくれたら嬉しいな、くらいがちょうどいいのかな。(もちろんより多くの人が読んでくれたら嬉しいけどな。)

自分のために、書いてもいい。

でもね、読んでもらうことを意識しすぎると、委縮しちゃうのかなとも思ってて。「読まれること」を目的にして、自分が書きたいことを書けなくなるのは嫌だなと思う。

昨日見つけたnoteで、すごく印象的な内容があった。3年前くらいなので、今のタイミングでシェアするのは恐縮というか、恥ずかしいのですが。

自分という人間が、どのようなフィルターを通しながら世界を見ているかをていねいに記録すること。そしてそのフィルターの色彩や形がどのように変わっていくかを感じながら生きること。そういった移り変わりを、書くことを通じて知っていきたい、と、あるとき、ふと思うようになった。

これを読んで、「自分のためにも書いていいんだよ」と言ってもらえた気がして、すごく励まされた。

自分が書いている文章は、同じような内容だったとしても他の人に書くことはできなくて、自分にしか書けない。そしてそれは過去の自分でも、未来の自分でもきっと同じ文章は書けなくて、今の自分にしか書けないもの。

あかしゆかさんは、書くことを”感性をていねいに磨いていく行為”とも表現していて、書くことで感性が磨かれていくって、なんて素敵な考え方だろうと思ったし、書くことは自分自身の内面を磨いていくための方法の一つなんだなと感じた。

読んでもらいたいと思うなら。

読んでほしいけど、自分のためにも書きたい。

この何とも矛盾する2つの考え方は両立できないのかと考えた。

いやできる。それはこちらの記事の阿部広太郎さんの言葉から。(この記事のシェア2回目。どんだけ好きなんだろう)

遠慮はするな、でも配慮はしろ

名言。

自分が書きたいことは遠慮せずに書いてもいい。けど、

ここで言う「配慮」とは、優しさがそこにあるかどうか、読み手にとって読みやすいかどうかを考えているか、といったこと。書くのは自分のためで良いですが、届けたい人がいるのであれば、自分勝手に書いてはいけない。

これほどしっくりくる言葉はないと思う。読んでもらいたいなら、届けたい人がいるなら、読んでもらえるような工夫は必要なんだ。好き勝手に書くなら自分しか見ることのできないプライベートな日記に書けばいいもんね。

こういう公の場所で書いているってことは、やはり読んでもらいたい気持ちがある。読んでもらいたいなら、読んでもらえる工夫をする。

読んでもらえたうえで、反応があるかどうかは求めない。それを考えすぎてしまうと、書きたいことが書けなくなるから。だけど読んでもらえない中では、反応をもらうも何もない。読んでもらってないのだから。

だから私はこれからも、自分の感性を磨いていくために書こうと思うし、それを読んでもらうための工夫をする。そうやってnoteに、書くことに、向き合っていきたいと思った。

そんなわけで、今日はおしまい。

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