人生を描く点のひとつに
やったことがあることより、やったことがないことのほうが圧倒的に多い。それを踏まえた上で、やったことがあることが少しでも多いほうがいい。ものさしが増えるし、選択肢が広がっていく。その広がりは、どこかで、何かの形で、自分を支えることになるのだろう。
先日仕事で、小中学生の子どもたちと一緒に高尾山へ。紅葉シーズン真っ只中で、ものすごい人、人、人(私たちもその一部でしたが)。
人の流れから少し離れたところで集まっていると、駅からどんどん人が山へ向かう様子が見えて。「みんなどこへ行くんだろう~?」というある子のつぶやきに笑いました。私たちもあの人たちもみんな山に行くのよね。
小さい学年の子どもたちの中にははじめて山登りをする子もいて、「山登り、2時間も歩くの…?」という子もいれば、ふもとに着いて”山”が少し実感できたのか「本当に登るの…?」と不安げな様子の子も。でも、登り始めたらみんなとてもがんばり、一歩一歩踏み出す足を最後まで止めずに山頂まで行くことができました。
ふと思ったこと。山登りをしたことがない子にとって「山登り」はどんなイメージだったんだろう。「山」は緑色でこんもりしたものだと絵本とかテレビ、写真などで見たことがあったとして。それに「登る」ってどんな想像をしてたんだろう。上に上がって下りてくる、とか。確かにそんなに大変なイメージわかないかもなぁ。
そう思うとやはり「体験する」って大切だ。
やってみないとわからないことがたくさんある。やったからこそわかることがたくさんある。
今回山登りをした子どもたちは「山に登った」という体験を得た。その体験が、その子にとってどのような経験になったのかはわからない。「登りきれた達成感を得られた」のか「友達と一緒に登れて楽しかった」のか、「疲れたからもう二度と登りたくない」のか。同じ体験でも、どのような経験になったのかは異なる。
でも、何かは確実に積み重なった。その経験を経て、翌日に劇的な変化が起きるわけじゃない。でもその子の人生の中で、どこかで、きっと、活きてくる。と信じたいだけかもしれないけど。
何かつらいことがあったときに「あの山登り、苦しかったけどがんばれたよなぁ…」と思い出して後押しになるかもしれない。
「山と海だったら、どっち派?」という話題が出たときに、心からの実感をもって「山!」または「海!」と答えられるかもしれない。(海も行ったことあるという前提で)
大人になって思い出話をするときに「そういえば昔山に登ってさ、めちゃ疲れたんだよね…」と話のネタになるかもしれない。
いずれにせよ「かもしれない」なんだ。可能性でしかない。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。
それに、上に挙げた例を読まれた方は「ささいだ」と思うかもしれない。子どもの育ちや成長に関係なくない?と思うかもしれない。かもしれないが多すぎてわからなくなってきた。
この仕事(はじめたときはボランティアだったけど)を始めた当時は、私も一度の活動を経て、子どもたちに目に見える変化や成長がなくては、と思っている節があった。でも、成長を願うのは大切だけれど、求めすぎるのは大人の傲慢だとも思うようになった。
子どもの長い人生の中で「山登りをした」という体験はほんの小さな点にすぎない。まずその小ささを認めること。ただ、「小さい」というだけで「点が打たれた」という事実は確かにある。
まっしろいスケッチブックに点が一つ打たれたことは大きい。体験するごとにその点が増えて、どこかでつながって線になって、線がつながって形になって、形が組み合わさったらいつか絵になるのかもしれない。そうして、人生が描かれていく。はたまたその線たちは網の目のようになって、倒れそうなときに支えてくれるネットになるのかもしれない。
今回の山登りが子どもたちにとってどんな点になったのか。その子もまだわからないだろう。その点が、その子の人生を支えるものになったらいい。終わった今は、そう願うことしかできないけれど。
いろんな点を打つ手伝いを、していきたい。
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