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好きなものは好きでいい

「あの曲いいよね」と友人と話した夜、久しぶりにがっつり音楽を聴きたくなりspotifyを検索する。最近、何かの作業中は歌詞のないBGMばかり流していたから、歌詞のある曲を聴くのは少し久しぶりだった。

spotifyのすごいところは、「その曲を好きな人が好きそうな曲を集めたプレイリストがある」ところだ。私は「好きなアーティストの曲は全部好き」というよりは、同じアーティストの中でも好みが分かれる。曲ごとにファンになるタイプだ。だからアーティスト関係なく、系統が似ている曲がまとめられているのはとてもありがたい。

まずはイントロを聴く。爽やかで軽快、または優しくて光が感じられそうなメロディが流れると「あ、この曲好きだな」と直感的に思う。直感はわりとあたり、最後まで聴くともっと気に入る。今まで知らなかったアーティスト、知らなかった曲。その中で自分が好きな曲に出会えると、宝物を見つけたような気持ちになる。ラッキーって。

このアーティストはいつから活動してるんだろうか。Googleで検索する。調べると「2009」とか「2008」とか。え、そんなに前から活動してたのか。いくつのときだろう。知らないと本当にいつまでも知らないままなんだと実感する。でも今、知れてよかった。

そんな気持ちでいたら、検索窓に「○○ 人気ない」という検索履歴が出てきた。ざわっとした気持ちになり、思わずページを開く。

名前は伏せるがそのアーティストはバンドで、もともとはかなり独自の路線を行ってたようで。ただ時代と共に少しずつ、大衆受けする音楽に変わっていったらしい。それが古いファンからすると許せないと。で、最近おもしろくないよね、人気ないよね、ということが書かれていた。

なるほどなぁとは思う。人気が出れば出るほど、「にわかファン」のような存在が増えることにやきもきする気持ちもわかる気はする。けれどなんだろう、せっかく見つけた宝物に泥を塗られたような気持ちになった。いや、見たのは自分なんだけど、そのページ見なきゃよかったなって。

自分がいいと思ったものを、同じ瞬間に別の誰かが批判する。そんなことはよくあると思う。だからそれ自体にショックを受けるわけではないのだけど、自分がいいと思った気持ちが揺らぎそうになるのを感じて、ああここがまだ弱いんだなぁと感じる。最近、好きなものは好きと言えるようになってきたけれど、強い言葉にまだびくっとしてしまう。

好きなものは好きと言いたい。いいと思ったものはいい。いろんな考え、感覚があるから、誰かが「嫌い」というのは別にいいし、全然否定しない。ただ自分の「好き」を、誰の「嫌い」によってぶらしたくない。これは音楽に関わらず。

日常の中で宝物を見つけられる確率はそう高くはない。だからせっかく見つけた宝物はちゃんと守りたい。泥で汚すことなくキラキラとしたまま、心の箱へしまっておこう。




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