誰に、何を届けたいのか。

「子どもの利益につながる文章を書きたい」と思っている。この社会のどこかで暮らしている子どもの幸せに少しでもつながっていくような文章。

子ども本人が直接文章を見ることはあまりないと考えると、それはつまり、子どもをとりまく大人たちに届けたいということを意味する。

子どもをとりまく大人とは、いったい誰なのか。
私は誰に届けたいのか。

もう少し具体的に、考えてみた。

今現在、子どもと関わりがある人へ

子育てしている方々、学校の先生、保育士や幼稚園の先生、学童の先生、その他子どもに関わる仕事、ボランティアなどで携わっている人。

今自分の身のまわりに子どもがいて、日常的に関わりがある人に対して、「子ども」という存在の捉え方、関わり方について、一つの視点として伝えられたらと思ってる。

私の考えが絶対正しいわけではないし、画一的な方法論は存在しない。だからあくまで一つの視点として読んでもらえたら、と思う。こういう捉え方もあるんだな、こういう考え方もあるんだなと。

子どもを捉える視点を大人が複数もてている方が、目の前の子どもの行動の理由に思いを馳せ、深い理解につながりやすい。

そしてあわよくば、子どもと関わりがある人の味方にもなりたい。

私は身の回りにいる子どもの幸せはもちろん、まだ会ったことのない子どもの幸せも願ってしまう。変な人かもしれない。

「あなたの身の回りにいる子どもの幸せを願っている人、ここにいるよ」ということが伝わって、少しでも気持ちが楽になってもらえたなら。きれいごとに聞こえるかもしれないけど、わりと本気でそう思ってる。

だから絶対、子どもと最前線で関わっている人を責めるようなことはしたくない。子どもに一番近い人が幸せでないと、子どもは幸せにならない。

今現在、子どもと関わりがない人へ

「子どもはみんなで育てる」「子どもは社会で育てる」という考え方を大切にしたい。特定の誰か、特に今の社会においては親や先生だけに責任を押しつけることはしたくない。そうしたところで、その不利益を被るのは子どもだから。

だから今現在、子どもに関わりがない人にも、何らか関心をもって、少しずつ関係者になってほしいな、と思ってる。

今現在は関わりがなくても、これからあるかもしれない。またはふと目を向けてみたら、意外と身近に子どもがいるかもしれない。

私の文章をきっかけに、「子ども」という存在が遠くの、自分とは全然関係ない存在ではなく、身近にあり、自分もちょっとは関係しているんだな、と思ってもらえたらうれしい。

子どもに関連するニュースを、今までよりも少し関心をもって見てみよう、だけでもいい。

人との関わりは、子どもが教えてくれる

誰に届けたいか?を整理してわかったことは、結局「みんな」であるということ。

ターゲットが全員だなんて、マーケティング専門の人に怒られそうだ。でも「子どもはみんなで育てる」ことを大切にしたいから、今当事者である人も、今は当事者じゃない人にも、何かしらの形で届いてほしいと思っている。

もう一点思うのは、子どもとの関わりの中から気づくこと、学ぶことは、対大人にも活かせることが多いということ。

感情の出し方のコントロールをすることや、「できない」のは何か理由があるんじゃないかということ、心からの共感を示すと伝わること、信頼関係をつくるにはよく「見る」ことが大切なこと。子どもから教えてもらったことは、大人に対しても通じる。

この社会で生きている以上「どう人と関わって生きていくのか」は、永遠のテーマである。そんな人との関わり方のヒントを、子どもがくれるような気がする。

なぜなら子どもは鏡だから。

ありのままの姿を映し出してくれるから。

人間関係で大切なことは、実は子どもが教えてくれる。

私が子どもとの関わりから学んだ、人との関わりの上で大切なこと。それを伝えることができたらうれしい。

そしてそれを読んだ人が、身近な人と関わるうえでのなんらかのヒントになったら、うれしい。

どの立場から伝えるのか

私は「自分が何者か」ということを、時々考える。

初めて子どもと関わり始めたのは大学2年生のとき。そこからボランティア期間、職員期間を含めると、今の現場で子どもと関わるのはもう10年以上になる。先生としても5年間働き、シッターの仕事も細々している。

しかし、子どもと毎日会うわけではないので、日常的に関わっている人たちに比べると、リアルな子どもを知る機会が少ない。肩書的には専門性を有する人に見られるし、専門性を語れるくらい精進しなきゃいけないとは思っているのだが、いまいち自信がない。

だからいったい私はどの立場から伝えようと思っているのか、伝えていいのか、を迷ってしまう。100%専門的見地からでもないし、100%経験によるところでもない。

都合よく考えると、専門性が半分、経験が半分でいいのかもしれない。それが私なのだ。専門的な見地から子どものことを伝えることも大切だけど、それは日常的に子どもを見ている、先生や保育士さんの方が向いているかもしれない。

職業としての専門的見地からが半分で、残りの半分はフラットに関わった経験から。ボランティア期間も含めると、友達みたいに子どもと関わっていた経験も長い。

その中で気づいたこと、学んだことは、自分にしか書けない。だからそれを自分の強みにしてみればいいんじゃないか。

「誰に」「何を」「何のために」書くのか、伝えるのか。
それを整理することができてよかった。

子どもが関わらないテーマについては、どうするのか。

都合いいかもしれないが、それについてもこれからも書き続ける。

それはやっぱり、書くことを通して考えることをやめたくはないから。子どもの利益には直接関係ないかもしれないけど、自分という人間が書くことを通してゆたかになっていくのなら、結果的に子どもや、周りの人に対して何かを還元できるのではないか、とも期待をしてしまう。

子ども以外のテーマの記事も積み重なってきて、自分の興味関心やふと考えてしまうことについて、なんとなく共通点があるような気がしている。それはそれで整理をしてみたら、届けたい人が明確になってくるかもしれない。日を改めて、整理をしてみたい。


そんなわけで、今日はここまで。



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