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書くペースは、それぞれで。

ここのところ、毎日noteを書いている。

よくやってるな~とは思うけれど、毎日更新することそのものには、私自身はあまり大きな意味を感じてなくて。一定期間続けると、後に引けなくなってきた感はあるけども(笑)

「毎日更新する!」という目的のもと創作するスタイルも、もちろんいいと思う。でも時々、更新しなきゃというプレッシャーがかかってしまわないかなぁとか、書く行為に意識が向けられなくなってしまうんじゃないかなぁとか、いらぬ心配をしてしまう。

書きたいことがあって毎日書くのと、毎日書くことを目的にして書くのとでは、近いところにいるようで、ちょっと違う気がする。

「毎日更新」という目的の比率が大きすぎて、もし文章に思いを馳せられないとしたら、思いきってそれを手放してみてもいいのかなぁ…と、やっぱりいらぬ心配をしてしまう。

書くことは、自分の基盤を作ることだと思う。

人はきっと日常の中で、めまぐるしくいろんなことを感じてて。でも悲しいかな時の流れの方が圧倒的に早く、感じたと思ったら次の瞬間にはもう忘れている。そして新しい情報は次々に流れてくる。感じては忘れ、感じては忘れ…を絶えずくりかえす日々。

「忘れる」ということには、自分の意志だけではきっと抗えないのだろう。だから、書きたいと思う。それは、忘れたくないから。書くことで、「いま、ここ」を残しておける、そんな気がするんだ。

自分なりにコツコツと続けてみて、文章を書くことの奥深さが少しずつ分かってきた。100日書いたから、1年書いたから、それまでの自分と180°変わるような劇的な変化が起こるわけじゃない。

でも確実に、これからの自分を支える基盤が作られてきているような気がする。これまで書いてきた文章を振り返っても、そう思う。自分の感じたことを、自分で言葉にして、それで自分を肯定できて。ぐらぐらと揺らがずまっすぐ立つための基盤、土台の輪郭ができてきた感じだ。

だからもし、毎日更新しなきゃと焦っている人がいるとしたら、毎日更新しなくてもいいんじゃないかな、と。
心が動かないままアウトプットして、後で何も残ってなかったと気づいた私のようになってしまう。その経験はこちらのnoteに。

普段の生活の中で、少しでも嬉しいと感じたり、何か疑問に思ったり、微妙な感情の揺れというのかな。感情とまでいかなくても、何かを「思う」ことって実はたくさんあると思う。

たくさんあるんだなってことに、私自身noteを書くことで気づかされた。以前は「何の変化もない日常で感じることなんてないよ~~」と嘆いてたから。でも絶対に、ある。テレビぼーっと見てるだけでもあるから、おもしろい(笑)

何かに急かされるように書くよりも、そういう心の声にじっくり耳を傾けてみたほうが、きっと気持ちが楽になるし、結果的に得るものが多いんじゃないかな。
書くペースは毎日かもしれないし、毎日ではなくてもいいかもしれない。自分に合わせて、ちょうどよいペースでいいと思う。

くどいけど、毎日更新することを否定しているわけでは全くなくて。心からやりたいことであれば、きっと得るものがあるはず。
ただ「あれ、何のために毎日更新してたんだっけ?」とふと思う人がいたとしたら、ゆるりペースにしてみてもいいのかもな~と。
それで疲れてしまって、「書く」ということが嫌いになってしまったり、書くことから離れたりしてしまうのが、私としては寂しいな…と思うのです。

そんなわけで、今日はここまで。

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