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この瞬間を、ほんの少しでも残そう。
noteを書くとき。普段生活した中から感じたこと、考えたことを書くほかに、昔のできごとに遡って、改めて考え直してみたりして書くこともある。
「あのことも書きたいな」「あ、これももうちょい言語化したいな」と書いていくのだけど、そもそもどうして覚えているんだろう?と、ふと思った。
忘れてしまっていてもおかしくないことを、ありがたいことに覚えていて、掘り起こして文章に書くことができている。変な問いだけど、私はなぜ、覚えているのか。
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記憶の片隅から消えず、数年後にこうして書くことができている理由について、一つわかったことがある。
それは、私の記憶力がめちゃくちゃいいからじゃなく、その当時に「ちょっとだけ」アウトプットしていたからだ。
「ちょっとだけ」なので、自分の日記への雑なメモ書きだったり、Twitterのつぶやきだったり、誰かにそのことについて話したり、とか。
あまり整理されていなくていいから、とりあえず言葉にしておく。そして何らかの形で外に出しておく。そうすると、不思議なことに数年経っても意外と忘れてない。
そしてふとした瞬間に、「あ、あのことについてもう少し深く考えてみようかな」と思い出す。
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時間が経ってから改めて整理してみるのは、結構いい。
そのできごとが起こった直後よりも、より客観的に見ることができるし、冷静にいろいろな角度から考えることができる。わ、いいことだらけだ。
やっぱり人間の脳は、全部のことを覚えておくことは難しいらしい。だから、何かを思った、考えたその瞬間に、ホカホカな感性をほんの少しだけ言葉にして残しておく。
そうすると改めて取り出した時に、その感性は冷めていない。ホカホカな状態でまた自分の手元に戻ってくる、ような。
たとえば。なんだろう。
炊きたてのごはんを熱いうちにラップに包んで冷凍すると、解凍した時にホカホカな状態で食べられる、みたいな感じかな。(たとえが下手)
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物事によっては、リアルタイムでがっつりのふりかえりが必要なこともあるけれど。
ただ、仮にその時にじっくり考える時間がなかったとしても、ちょっと思った、ちょっと感じた、ということを、ささっと何かの手段でアウトプットしておくと、のちのちの自分が喜ぶかもしれない、と。
ちなみに私はいま、わりと嬉しいです。当時の自分がさらっと流さずに、Twitterだったり、日記に残しておいてくれて。
それが材料となり、時間が経った今、改めてじっくり考えることができている。それがとてもありがたい。過去の自分に、ありがとうだ。
今感じたことを言葉にするのは、今の自分を肯定することだけど、それが未来の自分にとって感謝されることになるとは、なんだか不思議な。
今においても、未来においても役立つなんて、すごくいいな。
整った言葉じゃなくてもいいから、これからも正直な自分の感性を、この瞬間に残し続けよう。
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そんなわけで、今日はここまで。
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