「話したい」「聞いてほしい」という気持ちを埋めてくれるもの。
先日、久しぶりに友達と会った。
久々に会ったので、すごく楽しかった。
ただ、不思議な感覚もあって。
久しぶりに会ったからものすごい自分の話したい欲が出てくるか…と思いきや、意外とそうでもなくて。
いや、話がしたくないとかじゃなくて、会話はしたいし、話していることは楽しい。
ただ、「自分の話をめっちゃ聞いて!」という感じがなかった。
聞いていることが純粋に楽しい、という感覚だった。
なんでだろう。と考えたときに、「あ、もしかして普段思っていることや感じていることをnoteに書いているからかもな」と思った。
書くこと自体には双方向性はないから、会話と同じ機能は果たせないけど、自分が感じていること、思っていることを書くことで出せているから、それで満足しているのかもしれない、と。
なんだろう、ニュアンスが難しいな。
決しておしゃべりをしたくないわけじゃないんです。
気の合う友達との会話やおしゃべりは、楽しい。
口数があまり多くない方とはいえ、一人暮らしで外出自粛だと、本当に誰ともしゃべらない日もあって、うつうつとすることもあるから、誰かとの会話ってすごく大切だと思う。
ただ、誰かと話している時に、相手の話を聞きながらも「この話したいなあ…」「どのタイミングで切り出そうかな…」みたいに、自分が話したいことについて考えちゃうことってあるじゃないですか。(私はあるんですよ)
でもそれって相手の話をちゃんと聞いていないのかもなって。
でも自分が話したい気持ちがあるってことも本当。
相手の話を聞く、自分の話をする。
そのバランスが難しいな、と感じることもあったのですが。
書くことで自分が話したいことを出せていると、相手の話に集中できるメリットがあるのかもしれないな…と、ふと思いました。
もちろん書いたことを、さらに人に話したい!と思うこともあるから、書いていれば話さなくてもOK!という極端なことを思っているわけではないです。
ただ、誰かとの会話で流ちょうに言葉や話が出てくる方ではないから、どちらかというと聞き役に回ることも多く。(それが嫌というわけじゃなく)
でも話したいこと、聞いてほしいことはある。
そんな時に「書く」という手段は、そういう「話したい」「聞いてほしい」という気持ちを埋めてくれるものでもあるんだな、と感じました。
自分の気持ちを出す手段を複数持っておくこと、そして自分に合った手段を持っておくことって、大切ですね。
私には「書く」という手段が欠かせないらしい。
そんな気づきを得たというお話でした。
そんなわけで、今日はここまで。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?