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その言葉を向ける相手にも、意志があるから。

言葉には「その人」が表れる。

書く言葉、話す言葉、その一つひとつに自分自身がにじみでるのだと、よく理解しておきたい。

そして使う言葉によってもまた、自らを磨くことができる。どんな言葉を使い、どう磨くのか。それは、自分に委ねられている。

あまり好きではない言葉がある。「巻き込む」「投げる」「~させる」などの言葉だ。たとえば「多くの人を巻き込んで…」とか「この案件をあの人に投げる」といった使い方をするときの、これらの言葉が好きではない。意識して、できる限り使わないようにしている。

「巻き込む」という言葉は、「巻き込まれる」人の立場に立っていない。こちらは「協力を得る」という意味で使っているが、竜巻のようにぐるぐると巻き込まれたい人はいるのだろうか。そうして協力をしてもらったところで、その人の心からの意志と言えるだろうか。

「投げる」という言葉は、とても雑だ。「何かを任せる」という意味で使っているのだとしたら、その何かに対しても、相手に対しても、敬意がない。投げてしまえるほどの、案件なのだろうか。そして相手はぶん投げられたものを、誠意をもって引き受けたいと思うだろうか。

「~させる」という言葉は、強制力を用いているように感じる。そして、その言葉を使っている人と、対象の相手との間に、上下関係ができあがっている。すごく、上から目線に感じてしまう。

どうしてこれらの言葉が好きではないのか。共通点を考えてみた。それはおそらく、「相手の意志」をないがしろにしているからだ。言葉を使うコミュニケーションには、「自分」と「相手」の二者が必要なのに、相手の意志に関係なく、自分の意志を前面に押し出そうとしている。だから好きではないのだ。

心の中では「相手の意志を大切にしている」と思っていても、言葉にはそうでないことがにじみ出る。きっと「意識」ではなく「無意識」にそう思っているのだ。

どんなときも、その言葉を向ける先にいる、相手の存在や意志を大切にした言葉を用いたい。自分がその言葉を向けられたとしたら、どんな感じがするか。違和感はないか。一つひとつの言葉に、相手に、物事に、敬意を払っていたい。

相手を大切にした言葉を使い続けることで、「大切にしている」というその気持ちは、きっと伝わる。相手の意志を無視した言葉を使い続けるよりも、その人との関係性はよくなり、物事もいい方向に動いていく。

言葉にはそれだけの力がある。選んだ言葉で、行きたい方向にも、行きたくない方向にも連れて行ってしまう、そんな力が。

昨日、半年以上前に書いたこちらのnoteを読んでいただいた。

「ああ、こんなこと書いたな…」と自分の記憶を引っ張り出していただき、うれしかった。過去のnoteを読まれるのが好きな人と苦手な人がいると聞くが、私は完全に好きな人。昔のnoteを読んでもらうことで、自分がその時に書いた心情を思い出すことができる。

これを読んで、書いてあることに対する考えは今も変わらないけれど、書き方が雑だ・・・と気になった。内容はそのままに書き直してみようと、今回の記事を書くにいたった。

そうしたら書いているうちに、「ん…?なんか書きおぼえがあるぞ…」と思ってふりかえったら、似たような内容をすでに書いていたことが発覚。

お、おなじじゃん…!!

自分が書いたものも忘れてしまうんだなぁ。。


途中まで書いてしまったので、ここで取り下げるのはもったいない。ついでにもう少し深める形で書いてみようと、最後まで書き進めた。

同じようなことを書いても、3回とも違う文章。自分が同じテーマで書いた文章なのに、違う文章。それっておもしろいし、不思議なことだ。少しずつ、少しずつ、自分も成長して、言葉も表現も文章の組み立ても、磨かれるようになっていると思っていいのか。はてどうだろう。

以前のを読んでくださった方は「またか!!」と思うかもしれない。ごめんなさい。いやむしろ覚えていたほうがすごいのか。それだけ読んでくださっているということだから。読んだ覚えがある方がもしいらっしゃったら、本当にありがとうございます。


自分が書いたものすらも忘れてしまうのだから、これからは定期的にひっぱりだして、さらに磨くつもりで、書いてみようかな。


そんなわけで、今日はここまで。



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