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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#神学

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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他人の眼のなかの塵

 先日、不幸を招く青ざめた鳥のSNSで、随分と適当な発言をみて閉口してしまった。当然、キリスト教については何もしらない人の発言だから目くじらを立てることが可笑しい。とはいえ、やはり反応してしまう。上掲イエスの言葉を思い出し、心に反省が去来した。  陰謀論やスピ系、または床屋居酒屋井戸端で、ひとは語る。「本当のイエスは~だった」と。この手の発言は基本的に失禁と同様であり、要介護でないかぎり自分で始末をつけてもらわねばならない。「イエスは宗教に利用された」「聖書の~は、要するに

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可能性世界と霊能者

 今朝、奇妙な夢をみた。修道院に入る夢だった。現在、博士論文など、もろもろ抱えているものがあるけれど、「修道院、入っちゃったしなぁ」と夢の中の簡素な庭を眺めていた。いまとなっては懐かしい米国の神学校舎の裏庭に、よく似ていた。泊まる場所は十段ベッドのような、かなり変わったつくりだ。中空の塔内部の壁面にベッドと個人の机などが備えつけられており、移動は梯子を使う変な構造だった。  先輩修道士に「これなら着れるかな」と大きなサイズの服を選んでもらい、なんとか袖を通した。その服は信徒

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遍路歴程:A Pilgrim's Progress

 20年前の旧交が戻ってきた。互いに大人になったから、なかなか時間が合わない。それゆえ旧友のため、ここにぼくの天路歴程を記す。たかが20年ぽっちの敬虔と研究の挫折、その痕跡。準備不足のまま厳冬期のエヴェレストに挑んで、そのまま氷漬けになった誰かのミイラが示す、デッドエンドへの道標。本記事タイトルが「遍路歴程」と名作との一文字違いな理由は、不朽の名作になぞらえるのは面映ゆいのと、日本人だから宗教的探求の名は、やっぱりお遍路かな…と思ったからだ。  以下、旧友以外にどんな需要が

原始の神社をもとめて

 岡谷公二はフランス文学者・美術史家であるが、にもかかわらず民俗学に造詣が深い。先日たまたま古本屋で拾った新書の束のなかに彼の著書『原始の神社をもとめて 日本・琉球・済州島』をみつけた。前持ち主は、日本古来の宗教に関心があったのだろう。関連する分野の本10冊を2千円ほどで購入できた。そのうちの一冊が岡谷『原始の神社をもとめて...』だった。まず章立てを確認しよう。 第一章 済州島の堂との出会い 第二章 韓国多島海の堂 第三章 済州島の堂とその祭 第四章 沖縄の御嶽 第五章 

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信仰の仕事の話

 確定申告から逃げているつもりはないが、興味関心のおもむくまま、霊能者と呼ばれる人々に連絡をとり話を聞いている。いわゆる「本物」は稀である。それでも運よく、そういう人々から話をきく機会がある。  ライターの取材でもあり、研究関心でもあり、ぼくの信仰や使命に関することでもある。そう、ぼくの信仰の仕事の話だ。  今晩もニコニコ動画を友人らと眺めていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ニコニコ」も今や焼き鳥になるまであと少し。サービス終了まではいかないが、かつての権勢はない。ぼく個人

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回転寿司

 ついに開発できたッッ!この回転寿司レーンこそ、人類の救いだ。14世代にわたる開発によって人類の悲願が達成された。今までは自然現象に任せるままの「輪廻転生」を、これで機械化できるのだ。自然に対する文明の勝利、人類の魂の力の結晶、それが「回転寿司レーン」なのだ。  あれから百五十年、飛躍的に進んだ科学技術の進歩は、もはや回転寿司の当初の意味を忘れていた。リニア化・量子テレポート化された回転寿司では、本来の回転寿司レーンが持つ魔術的な意味には足りなかったのだ。世間の誰も気づいて

じこひはん

なんだか「~ごはん」ぽい。信仰と学問の話。  親には申し訳ないばかりだが、ぼくはキリスト教にハマってしまった。その上で、今度は学問をやろうとして身の破綻を招いている。来世があるなら、来世まで頭を下げなくては、家族には申し訳が立たない。  さて、信仰と学問の話。端的にいえば、若き日のぼくにとってキリスト教信仰は、神の御前での精神的な自己批判を意味した。まことにプロテスタント的である。その自己批判の上で、他なる伝統や教会を考えるにあたり、さらに自己批判を行うと、あっさりと、ぼ

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おじさんと希望

 10代のころは何もわからなくて、ただセカイに過敏に反応していた。20代の頃に「言語」の世界を習得し始めて、30代もなかばを過ぎた頃に、やっと「自画像」との折り合いがつき始めた。壊れたバケツも水の中に放り込めば、満たされたことになると知った。もともと人生の進みが遅い類なのだと思う。  気がつくと40代になっていて、鏡に映る自分は、怠惰で図太くて、物憂い世をはかなむ夢のなれ果てだった。勢いと夢、祈りの向こう側に足がついていた。  数日前、学部レベルで人文学をやることに意味が

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一貫性は生活してることだけ

 若いうちから宗教にコミットしてしまった人々に対して、何かいうことがあるとすれば「変わってもいいよ」ってことだ。ビートたけしのCMじゃないが「変化を楽しもう」ってやつだ。  若いうちに宗教的な感化を受けて、ある種の倫理基準を内面化してしまうと、あとで苦労する。いろんなパターンがあると思うが、親子関係やら金の使い方、異性との付き合い方がそうだと思う。「生活」を始めていくときに、神なり何なりの抑圧的で超越的なものの爪痕が、重りとして残ることがある。  それを「傷つく」というエ

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キリストなんて生まれてこなければ良かったのに…?

 コロナ禍による未曾有の不景気の中、それでも仕事に追われていられるのは有難いことだ。とはいえ、生活と日常に追われ、その上に来る読書・思索・研究みたいなところに手が届かないのは、ぼく個人にとって、あまり良いことではない。  先日、仕事の合間に単身赴任から戻ってきた友人と世情について言葉を交わした。いわく「twitterは昔の2ちゃんねるより非道い、地獄が現象している」と。たしかに、その通りだと思う。ツイッター社次期社長には、ぜひナンチャラ「ホッブズ」氏に就任して頂き、社名も「

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改革派とMYTENET

 労働にまみれると、どうにも少し、学問や信仰の話がしたくなる。精神のバランスとしては適切な塩梅で、ただ時間の配分はちょっと難しい。さて、以前こんな記事を書いた。  いいねの数をみれば分かるとおり、このnoteには読者があまりいない。読者も少ないのに「なぜ書くのか?」と聞かれれば、「自己満足のため」と淀みなく答えたい。ということで、今日も労働前の自己満足のために文字を生成する。「福音派」から「改革派」に移ったぼくが、結局、なぜ改革派からも離れてしまったのか。その事の顛末を残し

トンビと鼠とキリスト

  著名な児童文学作家で、谷真介がある。相当な数の作品を発表しているが、彼の仕事のひとつに「キリシタン童話昔ばなし」がある。おそらく、その仕事の集大成、または基礎となった著作が、新版『キリシタン伝説百話』(新泉社、2012年)である。  控え目にいっても珠玉にして出色、最高峰のキリシタン文学短編集だと思う。本書が収録するのは、日本土着の民話とキリシタン伝承の融合した諸伝説である。一話毎に感想を綴りたいほどに美しい。誤解を恐れずにいえば、これこそ、日本語で書かれた福音書と言っ

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