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改革派とMYTENET

 労働にまみれると、どうにも少し、学問や信仰の話がしたくなる。精神のバランスとしては適切な塩梅で、ただ時間の配分はちょっと難しい。さて、以前こんな記事を書いた。

 いいねの数をみれば分かるとおり、このnoteには読者があまりいない。読者も少ないのに「なぜ書くのか?」と聞かれれば、「自己満足のため」と淀みなく答えたい。ということで、今日も労働前の自己満足のために文字を生成する。「福音派」から「改革派」に移ったぼくが、結局、なぜ改革派からも離れてしまったのか。その事の顛末を残しておこう。

 事の顛末などと言うと、大げさに聞こえるが、理由はシンプルだった。「歴史的に相対化した」のだ。ぼくは、元々田舎の小さな福音派の教会で信仰を持ち、大学時代以降に神学に興味を持つようになり、改革派神学によって、初めて「歴史」的な信仰に出会った。結果、いままで王道だと思っていた「福音主義・福音派」という信仰の形式は、せいぜい、この二百年程度の文化的産物に過ぎない、と思うようになった。

 だから改革派の教会で学びたいと思って、とりあえず行けるところで学んだ。改革派教会の人が、この記事を読むとは思えないが、念のためいっておくと「改革派」という語彙は、歴史的一般名詞である。一つの教派・教会の専売特許の固有名ではない。ぼくは、国内の改革派・長老主義の教団教派名と歴史と立場は把握している。つまり、ぼくが語っているのは、歴史的な大きな流れとしての「改革派」である。

 アメリカの改革派・長老主義の学校で神学修士を経て、その後、教会に生涯を捧げたい、とも願った。しかし、結局、ぼくは改革派・長老主義からも離れてしまった。

 理由はシンプルで、福音派から離れたときと同様だった。改革派神学は、ぼくに福音派を歴史的に相対化することを教えてくれた。結果、ぼくは、同じ手法で、改革派・長老主義を歴史的に相対化してしまった。

 さらに、折しも、ぼくには聖公会やカトリック、正教会、また他宗教との関わりも出てきた。これらを視野にいれて行く中で、巨大な各伝統を前に、「神学を学ぶ私」という微細な問題は、雲散霧消していった。

 悪くいえば、ぼくは福音派としても改革派としても、勉強と信仰が足りなかったのだろう。つまり半端者だったのだ。それは認めざるを得ない。一方、良くいえば、ぼくは、そこまで頭が固くなかった。より広く高く深く長い「キリスト教」を知るために、視野の範囲を広くせざるを得なかった。

 とまあ、そんなこんなで、ぼくは福音派でも改革派でもなくなった。それぞれのエートスは残っている。しかし、自他ともに、そのようにはカテゴリーされないと考える。

 では、そうやって転々と流れて行きつく先はどこなのだ?おまえは何なのだ?と問われると「キリスト教徒です」と答えざるを得ない。自己批判の度に自己解体する。それでも残るものに拘ってしまう。それが、ぼくのテネットなのだ。とまあ、そんなぼくのキリスト教全体への見方は、こちらの記事にまとめているので、暇な人があれば、読んでくださると嬉しい。

 以上、「歴史的に相対化する」というマナーを身につけると、どうにも歴史にコミットが難しくなる、という問題があるな...と思った話。もっとも、司祭などになるには、これらを踏まえた上で、なお踏みこんで踏みとどまることが必要なのだろう。聖職方には深く敬意を表したい。

 というわけで、ボヤいたので仕事へ向かわねばならない。上掲に加えて、以下は重複もあるが、信仰と神学についての記事まとめである。お暇な方は読んで頂けるとうれしく思う。

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