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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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#キリスト教

「さみしさ」という鋳型

「寂しさを感じているが実際に人と会うと疲れるというタイプの人は、『交流をもっと持たないと』という観念にとらわれず、無理に友達の幅を広げようとしないほうが、結果としてQOLは上がるのではないか」という趣旨のツイートを見て、たしかにそうかもしれないと思うなどした。  過去のエントリでも何度か話題にしたことがあるけれども、この「さみしさ」というのは仏教で言われる「渇愛」と似たところがあって、単なる一時の感情であるというよりは、むしろそれを発生させるエネルギー源もしくは構造として、

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可能性世界と霊能者

 今朝、奇妙な夢をみた。修道院に入る夢だった。現在、博士論文など、もろもろ抱えているものがあるけれど、「修道院、入っちゃったしなぁ」と夢の中の簡素な庭を眺めていた。いまとなっては懐かしい米国の神学校舎の裏庭に、よく似ていた。泊まる場所は十段ベッドのような、かなり変わったつくりだ。中空の塔内部の壁面にベッドと個人の机などが備えつけられており、移動は梯子を使う変な構造だった。  先輩修道士に「これなら着れるかな」と大きなサイズの服を選んでもらい、なんとか袖を通した。その服は信徒

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遍路歴程:A Pilgrim's Progress

 20年前の旧交が戻ってきた。互いに大人になったから、なかなか時間が合わない。それゆえ旧友のため、ここにぼくの天路歴程を記す。たかが20年ぽっちの敬虔と研究の挫折、その痕跡。準備不足のまま厳冬期のエヴェレストに挑んで、そのまま氷漬けになった誰かのミイラが示す、デッドエンドへの道標。本記事タイトルが「遍路歴程」と名作との一文字違いな理由は、不朽の名作になぞらえるのは面映ゆいのと、日本人だから宗教的探求の名は、やっぱりお遍路かな…と思ったからだ。  以下、旧友以外にどんな需要が

宇露戦争と宗教についてのメモ

 全世界が固唾をのんで見守る中、ウクライナがロシアに進攻された。または、ロシアがウクライナでの平和を維持するために特別作戦を実行した。それで、ふと思い出したのでメモとして以下を置く。ロシアとウクライナの宗教の話である。  多くの人々の印象の通り、ロシアもウクライナも「正教会」のキリスト教徒の多い国である。もちろん両国ともに様々な宗教がある。ロシアは広大な連邦国家だから仏教徒もイスラム教徒も含む。それにキリスト教も正教会だけではない。  たとえば宗教改革期・再洗礼派のメノナ

信仰の仕事の話

 確定申告から逃げているつもりはないが、興味関心のおもむくまま、霊能者と呼ばれる人々に連絡をとり話を聞いている。いわゆる「本物」は稀である。それでも運よく、そういう人々から話をきく機会がある。  ライターの取材でもあり、研究関心でもあり、ぼくの信仰や使命に関することでもある。そう、ぼくの信仰の仕事の話だ。  今晩もニコニコ動画を友人らと眺めていた。飛ぶ鳥を落とす勢いだった「ニコニコ」も今や焼き鳥になるまであと少し。サービス終了まではいかないが、かつての権勢はない。ぼく個人

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回転寿司

 ついに開発できたッッ!この回転寿司レーンこそ、人類の救いだ。14世代にわたる開発によって人類の悲願が達成された。今までは自然現象に任せるままの「輪廻転生」を、これで機械化できるのだ。自然に対する文明の勝利、人類の魂の力の結晶、それが「回転寿司レーン」なのだ。  あれから百五十年、飛躍的に進んだ科学技術の進歩は、もはや回転寿司の当初の意味を忘れていた。リニア化・量子テレポート化された回転寿司では、本来の回転寿司レーンが持つ魔術的な意味には足りなかったのだ。世間の誰も気づいて

一貫性は生活してることだけ

 若いうちから宗教にコミットしてしまった人々に対して、何かいうことがあるとすれば「変わってもいいよ」ってことだ。ビートたけしのCMじゃないが「変化を楽しもう」ってやつだ。  若いうちに宗教的な感化を受けて、ある種の倫理基準を内面化してしまうと、あとで苦労する。いろんなパターンがあると思うが、親子関係やら金の使い方、異性との付き合い方がそうだと思う。「生活」を始めていくときに、神なり何なりの抑圧的で超越的なものの爪痕が、重りとして残ることがある。  それを「傷つく」というエ

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王と民主主義

 アメリカにいた頃、「キリストの仲保者王権:Mediatorial Kingship of Christ」について聞くたびに「いや、でも、アメリカには王様いないやん…」と思っていた。英国には王室があるし、日本には天皇家がある。厳密には、ジョシュア・ノートン1世がおられたわけだが、それはここでは措いておこう。  要するに、いわゆる王室などの旧権威を保持する国から来た者として素朴に思っていたのは、アメリカ人に王権を理解できるのか問題である。無論、英国から分岐した連中なので、まあ

西洋近代的自我と「主の祈り」

 毎週末の宿直の合間に、これを書いているーー疲れて座り込む。明日のゴミ出しの準備をすませた。あとは台拭きと食器拭きをきれいに絞りハイターにつければ終わり。これで風呂に浸かって時計の針が回るまでは待機。  風呂場の電気を点けるのも億劫で、脱衣所の薄暗いオレンジ灯のみで、さっと身体を洗い、風呂に浸かった。水音が響く。  足を伸ばして目を閉じると、水音に暗闇が重なって、お湯の温度が身を包む。ため息をつく。  ふと「主の祈り」が脳内をかすめていく。今朝もそうだった。何をどうして

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キリストなんて生まれてこなければ良かったのに…?

 コロナ禍による未曾有の不景気の中、それでも仕事に追われていられるのは有難いことだ。とはいえ、生活と日常に追われ、その上に来る読書・思索・研究みたいなところに手が届かないのは、ぼく個人にとって、あまり良いことではない。  先日、仕事の合間に単身赴任から戻ってきた友人と世情について言葉を交わした。いわく「twitterは昔の2ちゃんねるより非道い、地獄が現象している」と。たしかに、その通りだと思う。ツイッター社次期社長には、ぜひナンチャラ「ホッブズ」氏に就任して頂き、社名も「

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「女の責任の取り方」についての映画

 アメコミ映画の大ファンなので『ワンダーウーマン1984』を劇場で観てきた。前作『ワンダーウーマン』は観ていない。理由は「カッコ悪いから」の一言に尽きる。  こんなことは時代に逆行しているので、あまり言うべきでない。しかし、ぼくは昨今のハリウッド作品に、しばらく心底ウンザリしていた。もっとも、ぼくはスノッブを気取るシネフィルではないから、それでもCGを多用し、大爆発が起きる金ジャブTHEハリウッド映画は大好きだ。ちなみに、ぼくの最も好きな映画は、マイケル・ベイ監督『トランス

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天譴論とキリスト

 10年ほど前、「ぼっち大学生チャット」に入り浸っていた。2ちゃんねる経由のフラッシュ・サイトである。初めての海外で大学院、慣れないことばかりで、日本語チャットで会話することに大きな慰めを得ていた。  2011年3月11日。のちにチャット仲間から伝え聞くに、どうやら震災でサーバーダウンしたことで、同サイトは消滅したらしい。管理者が津波にさらわれたのかも知れない。以来、電脳の依代だったサイトが回復することはなかった。  先月11月23日、月曜の朝。ない時間を絞り出して、柳田

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改革派とMYTENET

 労働にまみれると、どうにも少し、学問や信仰の話がしたくなる。精神のバランスとしては適切な塩梅で、ただ時間の配分はちょっと難しい。さて、以前こんな記事を書いた。  いいねの数をみれば分かるとおり、このnoteには読者があまりいない。読者も少ないのに「なぜ書くのか?」と聞かれれば、「自己満足のため」と淀みなく答えたい。ということで、今日も労働前の自己満足のために文字を生成する。「福音派」から「改革派」に移ったぼくが、結局、なぜ改革派からも離れてしまったのか。その事の顛末を残し

トンビと鼠とキリスト

  著名な児童文学作家で、谷真介がある。相当な数の作品を発表しているが、彼の仕事のひとつに「キリシタン童話昔ばなし」がある。おそらく、その仕事の集大成、または基礎となった著作が、新版『キリシタン伝説百話』(新泉社、2012年)である。  控え目にいっても珠玉にして出色、最高峰のキリシタン文学短編集だと思う。本書が収録するのは、日本土着の民話とキリシタン伝承の融合した諸伝説である。一話毎に感想を綴りたいほどに美しい。誤解を恐れずにいえば、これこそ、日本語で書かれた福音書と言っ

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