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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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2022年1月の記事一覧

衆目を集める手段の殆どを罵詈雑言に依存してたアカウント群は数年しないうちに誰からも相手されなくなり、殆ど存在感が無くなってしまったな。外部にコンテンツ力を依存しすぎると、自身に他者を惹きつける発信力も培われなくなるし、周囲からの信頼も損ない距離を置かれるのは当然の帰結といえよう🐰

矢追さん

 小学生のころ、矢追純一のUFO特番が大好きで仕方なかった。同時に、怖くて仕方なかった。あの番組をみたあと「UFOが自分を誘拐しに来たらどうしよう」と布団をかぶり、当時はまだ澄んでいた眼差しで夜空を見つめた。いま思えば牧歌的でさえある。時代精神までものんびりしていたと思う。  2020年代のfacebookで矢追純一を見かけて以来、地味にページ更新のみをフォローしている。今朝ふと最近投稿を見かけていないな…と思い出して検索した。去年の8月で彼のメーリングリストは止まっている

10日間で癖になる

 年末に会った友人に再び会った。いわく、先日のぼくからの声かけへの応答だったという。なんだかんだ十年に及ぶ友誼である。ありがたい話だ。河原町・三条のコメダ珈琲にて2時間ほど楽しく雑談をした。話題は、しようもない話から、カントのスェーデンボルグへのディスまで多岐にわたった。  雑談の中で気になる言葉があって、それによって気分が一新できた。「10日間で癖になる」である。何事もまずは始めることが肝要。初日、3日、1週間、10日間、2週間、一か月、3カ月、半年...と続けることが重

シームレス生活

一日の中で何をするか、いつ起きていつ寝るか、何を食べて、どこに出かけるか。そういったものを殆ど自分自身でコントロールできる。最近はそういう自由な暮らしをしている。 かつて憧れていたそんな生活。でもそういう日々の中で感情は希薄になり心が死んでいってるのかもしれない。 今まで書いてきたものを振り返っていた。そのどれも愚痴みたいだなと思った。 何か表現したいことがある時というのは決まって嫌なことがあったり、誰かとの別れがあったり、トラウマを掘り返されたような時だ。 心にでき

2022年の目標など

ふと思い立って、今年中に達成するべき目標を設定することにしました。 ⬛️必達目標 ・「微分形式と接続」を読み(やり)終える ・「入門現代の量子力学」を読み終える ・note再開する(多分書評・感想文がメインになる予定) ・VRCに参加してみる ・恋人または配偶者を得る ・毎日11時30分までには寝る(1月7日現在まで、1日も守れてないけど…) ⬛️努力目標 ・「量子情報と時空の物理」を読む ・機械学習の勉強を始める ・競技プログラミングを始める

搾取のかたち

 搾取のかたちは多種多様だ。みんな大好き「多様性」である。なおtop画と本記事は無関係だ。  先日、よく行く回転寿司屋で入口近くに座った。そろそろ帰ろうかというとき、突然、ドアが開き、男性二人がやかましく入ってきた。年の瀬である。人が足りてないであろう店内壁際の隣席には食器が積み重なっている。こんな時期だ。とくに不快には思わない。むしろ店が開き、働いている人がいるからこそ、外食できるのだ。感謝しかない。  やかましい男性二人は、検温・消毒の手順を飛ばして入ってきた。若い店

「余計なお世話」をするバランス、何もしないバランス

 最近、自覚している変化がある。他者に対してどのような働きかけをするかということについてだ。例えば困っている人を助けるとか、助けないとか、良くないかもしれない方へ向かう人に対して、何かアクションを起こすのか起こさないのかということ。  多分昔は、うざいと思われてもいいから言葉をかけようとか何かしようと思うことが多かった。しかし、今は、相手の力量(内在的な力や成長速度)を見てそれに委ねてみるといったことを結構やっている。この人はいずれ自分自身で気づくだろう、というわけであえて

年始めに

年が明けた。 GWに植え替えたサンセベリアは新芽がすっかり伸びて新芽とわからないほどになった。ほったらかしも相変わらずだが、たくましく生きている。時は経っているのだなと思う。 スマホのカメラロールを見てみたら、崖や浜や滝、花や木々なども意外と色々撮っていて、あちこちに逃避に出かけていたことがうかがえた。私も振り返ればそれなりに一年分、時は経っている。 2021年は疲れて終わってしまった。一年を表す漢字と言われたら「疲」しか思いつかないくらい、疲れた。今年も疲れる予感がする

回転寿司

 ついに開発できたッッ!この回転寿司レーンこそ、人類の救いだ。14世代にわたる開発によって人類の悲願が達成された。今までは自然現象に任せるままの「輪廻転生」を、これで機械化できるのだ。自然に対する文明の勝利、人類の魂の力の結晶、それが「回転寿司レーン」なのだ。  あれから百五十年、飛躍的に進んだ科学技術の進歩は、もはや回転寿司の当初の意味を忘れていた。リニア化・量子テレポート化された回転寿司では、本来の回転寿司レーンが持つ魔術的な意味には足りなかったのだ。世間の誰も気づいて