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とても好きなNote

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時々読み返したくなる記事、疲れた時に是非。
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2020年3月の記事一覧

てきすとのコアはにんげんのコア

活字媒体においては言うまでもなく、SNSやブログ、noteの類だって「どこまで行っても自分の鏡でしかない」と思うんだよな。 たとえば、インフルエンサーやアルファに感化されて「おれもこういう発信がしたい!やるぞ!」みたいなのってあんまり続かないイメージなんだよね。 いや模倣から始めること自体は構わないし、必要なところもあるんだけど「他人みたいになろう」という気概ではなかなか継続できない。「自分を深堀りして自分なりのコアコンテンツを発見し、書き表そう」とするスタンスが必要にな

それでも濃厚接触したい

 コロナ災禍で明らかになった一つのことは「オンラインで済むものはオンラインでよい」ことだ。医療福祉では、ほとんど無理だろうし、IT系だって社外へ持ち出せない端末なりデータなりがあれば、無理である。人間は物理的存在なのだ。ということで、以下、チラシの裏の落書きである。内容はない。  今回、興味深いなと思ったのは「学校」である。一般的な小中高における「知識の伝達と修得」だけならば、正直オンラインでよいだろう。この際、義務教育のほとんどはオンラインで可能なのだから、全部そうすれば

新たま、新じゃが、春キャベツ。 少し良いベーコンを買って、今日はポトフを作ることにした。 この先まともな夕飯は作る気力も食べるゆとりもないだろうから、帰ってきてすぐ食べられるように、作り置きを兼ねて。 週の後半は納豆とかでいいや。 ところで今夜は月と金星がきれい。

不穏な4月と来世

 コロナ災禍によって、世情が目まぐるしい。「五輪/万博以後の日本には外国人観光客が途絶え、老人ばかりが徘徊している」「日本は「鎖国」したほうがよい」と前々から思っていた。よもや現実にそれを見れる日が来ようとは……予想だにしなかった。  観光客のいない「寺町・三条」は、外面が気になって仕方ないのに、誰からも相手にされなくなった日本の姿があった。何をどう考えても「鎖国」なんて不可能だろうと思っていたが、現在、一時的ではあれ事実上の鎖国状態にある。しかも日本だけではなく、世界中で

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妙に色っぽい庭のようなもの

 例によって、お部屋にこもってひたすら作業する一日を送る予定だったのだが、週末はお天気が崩れるとのことで、仕方なく腰を上げて食料品の買い物に行くなどした。出先のスーパーではとくに買い占めの様子もなく、残り少なくなっていた箱ティッシュなども普通に購入して帰宅。本当に、どこを探してもないのはマスクくらいである。  文章のいわゆる「華」や「色気」のことについては時に考えることがあって、「よく読むと、しっかりとした論理と事実確認に裏付けられた、とてもよいことを書いている」のに、どう

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オイパラ流「悩みを減らす方法」五選

おれなりに悩みを減らす方法を色々探してみた結果、使えそうなものとしては以下の五つになったのでササッと簡単にまとめておこうと思う。 ①一番大きな指針、生き方、座右の銘みたいなものを決めておき、選択する時間を減らす。「この生き方が絶対に正しい」というものは無いし、各人の状況や能力によって変わってくるのがフツーなんだよな。 とはいえ、諸問題にぶつかる度にいちいち自分の身の振り方に思い悩むのは時間の無駄であるため、自分の生き方の基本みたいなものを確立しておくと選択コストが減って楽

「死が特権的でない」風光

 先日、「人が死ぬことが悲しいという感覚がわからない」というトピックについて話し合う機会があったのだけど、こういうタイプの人はしばしば自身のそうした性質を倫理的に「悪い」ものだと考えるようで、その話をしてくれた方も、かつてはずいぶんそのことについて悩んだということだった。  この件については、おそらく「人が死んだら悲しいに決まってるだろう」という方々のほうが多数派であろうと思われるが、そういう「普通」の人たちは、ひょっとしたら前段落の話を専ら「他人の死に対する無感覚」である

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「現実」を書き換えるバカたちのこと

 昨日のエントリでは『ワンピース』の話をしたけれど、少年漫画、とくにジャンプ漫画というのは男の子にとっての「カッコいい」のイデアを固めて山盛りにして満漢全席にしたようなものなわけで、その「王」たる『ワンピース』をまとめて読んでしまったのだから、私も柄にもなく「男らしさ」というものについて考えてしまったわけである。  そんなわけで、以下の話は世の中的に正しいっぽい文脈とかそういうのはよくよく理解した上で、そのような月下の世界の仕来りからは遠く離れた、「だがそんなものは知らぬ(

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「正しさ競争」はほどほどに

 最近はとにかく svadharmaに注力していて忙しいせいか、他人から「誤解される」ということが、あまり気にならなくなってきたように思う。私は基本的に「説明厨」なので、いまでも自身の疑問をクリアにするために真摯に問うてくる人に対してはいくらでも「説明」するつもりはあるけれど、十分に言葉を尽くした上で、それでも誤解する人たちについて、差し迫った必要もないのにそのこと自体をなんとかしたいとは、あまり考えなくなったということである。  たとえば先日の沼田牧師との対談キャスにおい

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凝り固まるから美しい(こともある)

 夜になってから外を軽く走っていたら、暖かいというよりもう暑い。冬のあいだはヒートテックに上着を羽織って走っていたのだけど、もう次からは上は半袖シャツ一枚でもいいかもしれない。  そんな感じで、最近は(多忙のあまり)しばらくサボっていたジョギングを再開している。余裕ができたわけでは全くないのだが、せめて走るくらいはしておかないと、そのうち身体がボロボロになるんじゃないかという危機感を覚えてしまったからである。  久しぶりに色々と動かしてみると、身体のいつものところがいつも

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