「死が特権的でない」風光
先日、「人が死ぬことが悲しいという感覚がわからない」というトピックについて話し合う機会があったのだけど、こういうタイプの人はしばしば自身のそうした性質を倫理的に「悪い」ものだと考えるようで、その話をしてくれた方も、かつてはずいぶんそのことについて悩んだということだった。
この件については、おそらく「人が死んだら悲しいに決まってるだろう」という方々のほうが多数派であろうと思われるが、そういう「普通」の人たちは、ひょっとしたら前段落の話を専ら「他人の死に対する無感覚」であると考えて、「それは悪いに決まってるだろう」と判断されるかもしれない。
しかし、私が見るところ、「人が死ぬことが悲しいという感覚がわからない」という場合に想定されている「人」というのは基本的には文字どおりの意味であって、それは「他人」だけではなく、自分という「人」まで含んだ話である。もちろん、そのような感覚である人の全てにこれが当てはまるかどうかは知らないけれども、少なくとも管見の範囲内ではそうだ。
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