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本好きの徒然 本屋のはなし

本屋って私にとってはとても甘美な響きである。それを口に出すだけでぶわりと込み上げてくるものがある。本屋に行くというだけで心は弾む。でもそこは大きな沼地でもある。一度踏み入ってしまったら、なかなか出ることのできない深い沼。一見、澄んだ湖かと思ったら実は沼だった。そんな気分。

小学生の頃のお小遣いは月に500円。買える本は限られていて、本命に届くことはないそんなお金。だからお年玉がとても嬉しかった。それを持って新しい本を買うことがとても素晴らしくて、どこか大人になれたような気がした。

特に文庫本。難しい漢字がつらつらと並んでいる本を会計のカウンターに差し出すときはとてもドキドキして、なんかちょっと気恥ずかしくて、一気に大人になれた気分。ハードカバーなら尚更。でもハードカバーはお高くて、今だってなかなか手が出ない。だから文庫化するのをひたすら待つ。それがじれったい。

誕生日に「一冊好きな本、買ってあげるよ」と言われたとき、踊り出したいほど嬉しかった。いくつもの候補から選んで選んで買った本。もう文庫化してしまったけれど、文庫化したその作品を本屋で見ると思わずその頃の私を思い出す。ハードカバーってなんだかとっても素敵なのである。

本屋ではもちろん立ち読みもする。明らかに手が届かない専門書とか、興味はあるけど買うほどでもない本とかはついつい立ち読み。家族皆で本屋に行ったら、三時間も立ち読みしてたことがあった。その間にシリーズ作品を半分くらいまで読んでしまっていた。

でも、これは家族の誰かが気付いたからなんとかなったこと。一人で本屋に立ち寄った時は気付けば五時間経っていて、時計を何回も確認した。もちろん時間が巻き戻るわけでもない。買う予定だったシリーズ作品はその間に全部読んでしまったので、代わりに別の作品を買ったことのを覚えている。

本屋に一歩足を踏み入れたなら、なかなか抜け出すことは出来ない。いや、抜け出そうとも思わなくなってしまうというのが、本屋のおそろしいところ。

そして本屋にはいつだって、その人だけの思い出とドラマがある。


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