死ぬほど働いたワーママの末路
先日会社のワーキングマザーセッションに、ワーママサイドとして参加させてもらった。私を含む数名のワーママがどんな風に日々働いていて、家庭と両立させるどんな工夫をしているのか?というものをシェアしていくという、非常にリアリティがある良いイベントだった。
一方で会の開催を聞いた時「私は出ない方がいいのでは…?」と大いに不安を感じ、率直に主催者にも相談をした。
今の会社に入社して4年目。フレックスやリモート制度もフル活用し、家庭とのバランスを取りながら働いてきたが、直近の半年は新規事業に関わることになり、その全てが崩壊(笑)
WLB?WBSのお仲間?みたいな状態で日々生きているので、この毎日を赤裸々に公開するのはマイナスしか生まないのではないか?と感じたのだ。
ロールモデルにはなれない
そう私が感じたのは今まで女性、特に母親として働く中で、自分の存在自体に罪悪感を感じることが多かったからだ。
スポットで公私のバランスを取りながら働く期間はあれど、私はキャリアのほとんどを「ハードワーカー」として過ごしてきた。
フリーターの頃はバイトを3つ掛け持ちし、朝は駅前でティッシュを配り、昼はカラオケ屋やカフェの店員、夜は居酒屋やキャバクラで勤務。
ダイニングバーの店長になってからは昼の12:00〜朝の8:00くらいまで働くともあり、20連勤なども当たり前だった。
大手企業に就職してからも、今ほど労働規制がかかってなかったのもあり深夜2:00、3:00まで働くのもザラ。平日に終わらなかった仕事を持ち込んで土曜にファミレスで仕事をするのも常だった。(もちろんサビ残)
接待も多かったが帰宅して必ず議事録を書いてから寝ると決めていたので、リアルにPCを抱えながら朝を迎えたことも何度もあった。
リアルに2回くらい倒れたので、さすがにこれはまずい。こんな生き方してたら結婚もできないし出産もできないし…と言うよりガチで突然死とかするかも…と不安になり転職をするが、何とそこでは前職より働くことになる(笑)
根本がドMなのかもしれない。
当時は毎月産業医面談を受けてほしいと案内が来ていたが「こっちはそんな面談してる場合じゃないんだよぉぉ。ただでさえ時間がないんだよぉぉぉ」というのが本音で「大丈夫です!心身ともに健康です!」と面談を毎回断っているような問題社員だった(自分が人事になってみて、本当にあの時の労務の方々には申し訳ないなと思う)
そこからさらに職場や職務を変え、人生で初めて「そこまで長時間労働していない穏やかな時期」を過ごし結婚や妊娠もしたのだが、とはいえ妊婦健診の待合室でずっと仕事していたり、時には23:00過ぎまで会社に残り仕事をして「妊婦ですよね!?大丈夫?」と周りに心配されたりもしていたので、私の感覚がバグっているだけかもしれない。
ちなみに出産したその日も病室のベッドでPCを立ち上げた(笑)
出産後もドMワーカー気質はあまり変わらず、子どもを無認可保育園に預け早めに仕事復帰し、会社で搾乳しながら働き、寝てる時間以外はslackもほぼ即レスみたいな状態だった。
女性の未来をぶち壊す存在
シングルの時はまだ良かった。働きすぎて記念日デートに1時間遅刻し、今の夫をフレンチレストランで1人で待たせ店員さんから「この人振られたのでは・・・?」と無用な心配をさせてしまうようなプチ事件は起こしていたが、馬車馬のように働くことを上司をはじめ周囲の人々には好意的に受け止めてもらっていたと思う。
一方で、結婚し、出産をし「家庭とのバランス」を強いられるようになり、また年齢が30歳、35歳…と女性としてのライフステージの節目の階段をのぼるたびに、自分の置かれる立場が否応なく変化した。
マネジメント職になってからは顕著で「何でそんなに頑張れるんですか」「私は○○さんみたいには働けません」と女性メンバーや、子育てをしながら働くメンバーからある種のクレームを受けるようなことが数度あった。
ちなみにやばいエピソードばかりを書いたが、私は決して嫌々奴隷のように働いていたわけではなく(もちろんもう少しペース落としたい、しんどいとは常に思っていたが)どの職場でもシンプルに仕事が死ぬほど楽しかった。
もっともっと成果を出したかったし、お客さんやユーザーさんに喜んでもらいたかった。当時は効率が悪かったのもあるが、仕事の成果や価値に天井はないため、やろうと思えば再現なく時間をかけられてしまうのだった。
安直にいうと「やりがい」なのだろうが、仕事を通じて得られる喜びは私にとって色んなものを犠牲にしてでも得たい!と思えるような中毒性があった。
メンバーにも同じように働け!と思ったことはないし、そんな指示をしたこともないが、痛切に「あなたみたいになれません」と言ってくるメンバーの気持ちを考えると、複雑な気持ちになった。
それは時には尊敬や賞賛、同情や呆れに困惑、そして怒りや鬱陶しさなど色んな感情が混じった言葉だったのだと思う。
私が働いてきた20年は、女性の仕事でのあり方がずっと議論されてきた時代であり、幾度となく「女性社員のロールモデルを目指してほしい」的なことを当時の上司に言われたが、私はずっと「いやいや、こんな生き方したい人いないでしょ。何なら私の存在は女性の未来ぶち壊してるでしょ」と思っていた。
私は私の生き方に誇りと矜持があったが、一方で同時に自身の存在そのものに罪悪感を持っていた。
モデルは複数パターンあっていい
そんな私が今の会社に入り、前向きな気づきを得たことがある。多分私と同じくらい仕事が好きで、人生における仕事の比重が高い女性が何人もいたのである。
これは私にとってすごく大きな変化で、その存在に心から励まされた。
かつ、皆家庭を蔑ろにしているわけではない。
シングルでも既婚でも子どもがいても、それぞれがそれぞれの立場で全力で前向きに生きている人が多かった。
私も今は夫にフルワンオペを強いるなど、正直全くバランスが取れていないが、夫が夜勤で働いている時期にはワンオペをすることもあったし、仕事も精一杯やるが育児も自分なりに全力でやってきた。(ちなみに家事はやれていないと断言します)
ここまで仕事が好きだ、生きがいだと書いたが、最終「仕事」か「家族」かどちらか一つを選べと言われたら、1mmも悩まずに家族を選ぶ。
それは私のやりがいや、個の喜びを超えたところにある絶対的な存在だからだ。
だが、そんな極限の二択をおそらく迫られることはない今の生活において、私はやっぱりできる限り仕事にコミットしたいし、自分の可能性を信じたい。40歳になったが、20歳の時と変わらず「まだまだ自分は成長できる」と信じている。
そのために努力することも誓っている。
だからこそ、仕事が好きなメンバーが多く、また「ママだから責任ある仕事は任せないでおこう」「ママだから無理だよね」とキャップをかけることなく、思いっきりプレッシャーや高い目標を与えてくれる会社にいれることを嬉しく思っている。
かつ、リモートやフレックス制度など、物理的に家庭を両立して頑張れるための整備もある。
もちろん、子どもを産んだら子育てに人生の比重を置きたい女性もいる。
そもそも仕事はお金を稼ぐ手段だけで良い、という考え方もある。
それはそれでいい。
自分の人生に大事な価値観に正解などないのだ。
周囲に私と同じように仕事が好きな女性の存在を見つけたことで、私は「こういうタイプもいていいんだ」とシンプルに思えるようになった。
数でいうとマイノリティなのかもしれない。
多くの人には「いやいや子どもいるのにあんな働き方するの嫌だよね」と思われるのかもしれない。
「酷い母親だな」と後ろ指を指されることだってあるかもしれない。
でも、反対に「子どもを産むとできる仕事が狭まってしまうんじゃないか」「大事なポジションを任せてもらえないんじゃないか」そんな不安を抱く女性だっているかもしれない。
そんな人の小さな支えになることができれば、本望である。
ロールモデルは1人じゃなくていいのだ。
はやくバランスを取り戻すぞ
とはいえ、矛盾するようだが直近は働きすぎて、正直本当にしんどい(笑)
7:00に起きて8:00に子どもたちを送り、1時間ちょっとかけて出勤して9:30-22:00まで働き、また1時間ちょっとかけて帰宅し、そこから軽くご飯を食べたりお風呂に入ったりしながら1:00くらいに就寝。
労働時間もそれなりだが、朝の出勤時間はほぼ仕事のキャッチアップに費やし、帰りの電車も力尽きてない限りは同じである。(力尽きて脳死で漫画読んでいることもある)
さらにお風呂に入りながらも仕事に関する勉強をしていることも多く、もちろん寝る直前までslackを見ていて、自分でもちょっと異常性を感じる。
働く時間だけでなく、精神的にも中々ハードモードだ。
でも楽しい。しんどくて楽しい。楽しいけどしんどい。
しんどい→楽しい→辛い→嬉しい→悔しい→幸せと感情がジェットコースター状態である。
ちなみに20代に何度もぶっ倒れた反省を生かして(補足すると倒れたのは、仕事をあれだけしながら、毎晩飲み歩いていたためである。自業自得ってやつだ)
「絶対に許容量を超えて無理はしない」と決めているので、身体のメンテナンスや、ストレス放出などのセルフケアには力を入れている。
だいぶ大人になったなぁと感慨深い(注:40歳)
夫や子どもと過ごせる時間もかなり限られているが、時間帯効果を上げるための行動(感謝を伝えるとか、ハグをするとか)を取ることで、何とか家庭内平和を保っている。
私は根が心配性で小心者、かつ繊細性が高めの性格のため、人の感情の機微を割と機敏に掴む。
夫や子どもの様子を常に見ながら「これ以上は仕事のアクセルを踏んだらあかん」というラインは常に見極めてブレーキをかけるように心がけている。
多分今のところギリギリである。
とにかくいつも物理的にも精神的にも家庭を支えてくれている夫には頭が上がらない。
何度も書くが、私の人生での最高の意思決定は、夫と結婚したことである。
平日は私より早く起き子どもたちの朝食を用意し、そこからフルタイムで働き、送り迎え、夜ご飯の準備、お風呂、寝かしつけ、家事と全てを完璧にやってくれながら、土日は11:00くらいまで私を寝かせてくれる。
もういいじゃん、乾燥機回そうよ…とベットから起き上がらずに言う私を横目にせっせと洗濯物を干している(というか、私が起きたらすでに完璧に干されていることが多い)
書きながら自分の酷さがすごくて胸が痛むのだが、平日は家事など皆無、土日もくたびれ切っている私に一言の小言も嫌味も言わない、神様みたいな人格である。
いや、本当に夫がパートナーじゃなかったらこんな働き方はできなかった。
とにかくバランスを早く取り戻すためにも、私は成果を出さないといけない。努力して成果や信頼を獲得するからこそ、選択肢が生まれるのだ。
人生は死ぬまでハードモードである。
老後は田舎でのんびり畑を作ったり、旅行をしたり、毎日美術館でぼーっとしたり、漫画を読みながら暮らすのが私の夢だ。
ずっとそう思っているけど、結局私は60歳になっても70歳になっても80歳になっても、何かに追い詰められているかもしれない。
痛切にそんな気がするのは考えすぎだろうか(笑)
でも多分死ぬ時に「自分らしいな」って笑える気もするから、なんかそれはそれで良い気もしている。
そんな末路がまっているといい。