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私たちは子供に嘘をつくなと言えるだろうか

2歳10ヶ月の長男は、日に日に新しい言葉を習得している。
泣いたり笑ったりして気持ちを表現する乳児の時は、それはそれで可愛く、際限なく癒されたものだが、やはり人としてのコミュニケーションの面白さというのは、言語によって担保されているところが大きいなとしみじみ感じる毎日である。

保育園の先生から、友達から、テレビから、私や夫から、テレビ電話で話す祖父母から…接する全ての人が発した言葉を少しずつボキャブラリーとして増やしていくさまを見ているのはとても楽しく、またその吸収力の強さには感心せざるを得ない。

だからこそ、彼とのコミュニケーションにおいて小さな悩み…というか、感じていることがある。今日はそれを書いてみようと思う。

決して子供に嘘をつかない夫

私は夫の子育てスタイルを心から尊敬しているのだが、素晴らしいなと思っていることの一つが「子供に嘘をつかない」ところである。

嘘、というと全くの作り話のような大袈裟なものを思い浮かべがちだが、その場しのぎの小さな嘘というのは子育ての現場では散見されるものだ。

例えばお菓子をねだる子供に、それを与えたくないばかりに「あとでね!」と言って、テレビで気を逸させる…(もちろんお菓子はいつまで経っても与えない)なんて現場をよく見ることがある。
2歳くらいの子は「今、目の前に起きていることが全て!」の超刹那主義なので、確かにこれはワークすることが多いのである。

もっと楽しそうなもの、興味を惹かれるもの、自分がやりたいものを見つけるとすぐにそちらに気を取られてしまい、元々の要求はすっかり忘れてしまう。
親としては「よしうまいこと忘れさせてやったぜ」という成功の瞬間だ。
俗にイヤイヤ期と言われる年齢の子たちにはこんな手を使わないと対処できないことも多い。

私もこのようにして、時に狡い手をつかいながらワガママ盛りの長男に対応していたのだが、夫は違う。「あとでね」と言えば必ずあとで「さっき約束してたからね」と言って菓子を与えてやる。
面倒臭いがゆえに実現することのない「じゃあ日曜に行こう」や「今度やろう」なんてことをいうことは絶対にない。有言実行、また実行できないことは決して安易に口にしない。

これに気づいた時、私は自分の行動をものすごく反省した。親は往々にして子供たちに「嘘をついてもらいたくない」と思っている。
嘘をつくのはやめなさい!と叱る家庭も多いだろう。だが私たち大人が最初にこうやって嘘をついているとしたら、そんなことをいう権利も資格もないではないか。

小さな子供たちはきっとまだその不条理さを、言葉で親に伝えられないだけなのだと思う。
だが、間違いなくそれは「親は適当なことを言ってごまかす」「約束を守ってくれない」というマイナスナレッジとして蓄積していくはずだ。
そしてその子がより知恵をつけ、自らの意思で状況をコントロールできるようになったとき、きっとその子は他人に同じことをしだすだろう。

一人の人間として尊重する

この「嘘をつかない」という夫の行動の背景には「子供であろうが一人の人間として接する」という意識が見てとれる。

ごまかしたり、適当な嘘をついて「まるめこむ」のはつまり"大人"の悪用であり、子供の尊厳をまるっきし無視した行為とも言える。

"大人"が大人である所以となる「知恵」は、それを持たない者たちを欺くためのものではない。教え、分け与えるべきものなのだ

それにしても、私は子供に食べさせたくないお菓子を「これを食べたらお腹痛くなるからね」とか「子供は食べられないんだよ」なんて言って諦めさせたり、本当に適当なことばかりを言ってしまっていた。
今もなお、どうしても長男が言うことを聞いてくれないときは、伝家の宝刀である「鬼がくるよ」を使ってしまう。
だって本当に時間がなくて切羽詰ってるんだもの!言うこときかないんだもん!鬼の効果抜群なんだもん!と言い訳ばかりが頭に浮かぶが、「大丈夫だよ、鬼はこないからね」と優しくフォローして言うことを聞かせる夫を見ていると、ただただ自分のスキル不足であることを認めざるを得ない。
日々精進あるのみ…。

事実をちゃんと説明することにした

上記のような発見があってから、私も私なりにコミュニケーションを気を付けている。(たまに鬼出しちゃうけど)

そんな日々の中、植物好きの長男が公道に植えてある花を摘もうとした際に「これは取ったらだめだよ。お花さん痛いからね」と思わず言ってしまっている自分に気がついた。

花だけでなく「積木さん投げられたら痛いって泣いちゃうよ」など物を擬人化して子供にいい聞かせている現場を見たことがある人は多いはずだ。

いや寒いわ。なんだそれ。とかつては思っていたくせに、いざ自分が親になったらやってしまっていることに私は大きな衝撃を受けた。

子供に「ひどい!ママ嘘ついて!お花が痛いなんて嘘でしょ」と将来詰め寄られることはないかもしれない。だが「じゃあなんでお花屋さんの花は大丈夫なの?」なんて聞かれたら私は何で言えばいいのだろう。またそれを取り繕う嘘をつかねばならない。

大したことないではないかと思う人も多いだろう。確かに誰を傷つけるわけでもない。
だが、私は子供を人間として尊重したい。

それで最近は「これは多分地域の人が、皆がお花を見て嬉しい気持ちになれるようにってここに植えてくれてるんだよ。だから、●●くんがそれを抜いちゃったら、誰かが悲しい気持ちになるかもしれないからやめておこうね」などと説明している。

お察しの通り、ちゃんと説明しようとするとものすごく長くなる。しかも2歳時にわかるくらいの言葉の難易度で説明せねばならないため、かなり頭を使う。「お花さん痛いよ」はやはりただの大人の都合の嘘だったのだと思い知らされる。
それを言えば1秒で済むのだから。

さぁ、息子はどう成長するだろう

子育ての答え合わせはできない。
親が嘘をついたら子供も嘘つきになるなんてことは、実際はないのかもしれない。

だが私は今自分と夫を信じてこのポリシーを貫こうと思う。子供達がどう成長するかが楽しみである。

ちなみに夫は私にはもちろん、誰に対しても本当に嘘をつかない。私自身は「必要な嘘」もあると思っているタイプなので、夫の生き方が不器用にみえることも正直ある。
「そこはうまく嘘ついて!」と伝えることもある。だが、基本ベースが嘘つきなのと、正直者なのとでは人としての徳の高さが全く違う気がしている。
正直者でも、たまには優しい嘘や必要な嘘はついていい(と思う)。だけれども、その魂が嘘で塗り固められることは、決してないだろう。

本代に使わせていただきます!!感謝!