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女性を聖母化するのはやめてくれ

以前、思い込みが激しい人が苦手だと書いた。
好みにうるさい私には、他にも苦手な人やことがたくさんあるのだが、今日はふと自分の妊娠中のことを思い出したのでそれを書いてみようと思う。

「いい妊婦」になることのプレッシャー

私は今から約3年前に長男を出産した。結婚式が終わったら子供を作ろう!と夫とやんわりと話していたところ、宣言通りのタイミングで妊娠が発覚し、思いがけない幸運に歓喜したことを覚えている。

初めての妊娠で元来心配性の私は、妊婦向けの雑誌や本、サイトを読み漁った。どの媒体も「妊婦」を読者としているため、全体的に柔らかいトンマナでデザインされている。
当時、それ自体には特に違和感を持つことはなかった。だが、私は次第に「妊婦であること」の気持ち悪いプレッシャーを感じ始めるのである。

汚れなき妊婦のイメージ

人は勝手に人や組織に対して、特定のイメージを作り出すものである。
私が料理サイトで働いていた時は、何も言っていないのに「家庭的な子」という印象を持たれて驚いたことがある。(忙しすぎて全く家事などできない毎日だったのだが)
ハードワークな会社なら「バリキャリ」、白金や自由が丘に住んでいれば「セレブ」などなど、その人自身のキャラクターや思考ではなく、そのステイタスで勝手なイメージが作り出されることは少なくない。

「妊婦」のイメージは何だろう?
ふんわりと身体のラインを隠したAラインワンピースを着て、清楚なヘアメイクに優しい微笑み…
花ならば薔薇や牡丹ではなく、雛菊やかすみ草。
色ならば紫や黒ではなく、淡いパステルカラーや白。
車ならアヴェンタドールやカマロではなく、ラパンやミラ。
趣味なら競馬や釣りではなく、編み物や家庭菜園…と言ったところだろうか(いや、何書いてるのかわからなくなってきたぞ。笑)

わかりやすく言うと、そのイメージは「マタニティフォト」で思い出されるアレであろう。
純白のブラとスカートを身にまとい、頭には花冠。大きく突き出したお腹を優しく包み込むように抱きかかえ、未来の子供に語りかけるような表情で微笑む、聖母のような母親…

写真好きな私がマタニティフォトを撮らなかったのは意外!と友人たちから何度も言われたのだが、考えてみるとあの独特のイメージが根付いてしまっており、それがどうしても自分の中で許容できなかったのかもしれない。

精神的なアプローチが苦手

私は基本的に合理的なことが好きだ。
元来の性格は感覚派なので、決断や判断を直感と勘でしてしまうきらいはあるし、感覚そのものを楽しむアートなんかも大好きではあるが。 
だが出来る限り論理的に、合理的な生き方をしようとトライしつづけている。
後天的に努力しているからこそ、余計に非科学的なことに対するアレルギーは年々強まっていく。

ホメオパシーや、眉唾物の自然療法系…など信じている人を否定はしない。
例えば占いなんかは興味本位でやってみることとある。
だが、心底陶酔している人を見るとどうしても一歩引いてしまうし、手の届かないところがむず痒くなってくるような感覚に襲われて、居心地が悪い。
あーこの人とは、真の友達になることはないだろうなぁと、意地の悪い私はニコニコ話を聞きながら、心の中でそっと思う。

「効果」や「結果」について語られるものはまだよい。(例えそこにファクトがなかったとしても)
そうではなく「これをすることで、前向きな気持ちになれて人生が好転する」と言ったような、精神的なアプローチは中々にキツイ。
へぇ〜なんか良さそうだね〜!と上辺だけの返事をついしてしまう自分にも反吐が出る。

そしてなぜだがわからないが、妊娠というカテゴリにおいてはこの精神的なアプローチがめちゃくちゃ多いのである。

孤独感を味わったマタニティヨガ

私はヨガがあまり好きではない。呼吸と身体のストレッチを合わせたこの健康法自体は素晴らしいものだと思っている。

大手のヨガスクールに入会していたこともあるし、少なからず経験はしている(妊娠中はヨガくらいしか運動できないし)のだが、やっぱりどうしても好きになれないのが、ヨガの精神的なアプローチの側面だ。

パワーヨガやダイエットを目的とした類のヨガならばそんなこともないのかもしれないが、やはりヨガというものはその他のエクササイズに比べて「心」を整えることを重視している場合が多い。

これは、非常にいいことだと思う。瞑想なども同じ原理だろうし、きっと科学的にも証明された良き効果があるのではないだろうか(知らんけど)

だが、私は性格的にそれをどうしても許容できない。むしろ神経細胞に語りかけてくるような繊細な声色で「まずはあなたの内側と向き合ってみてください」なんて言われると、むず痒さが勝ってしまって全然落ち着かない。

心の声をよーく聞いてー
今日一日、がんばった自分を褒めてあげましょう

ダメだ…どうしてもダメだ。
え?私以外の人は皆この世界観に入り込んでいるわけ?寒くない?と逆に孤独感を感じてしまう。

最もキツかったのは、区で行われた母親学級でのヨガクラスである。
参加した妊婦たちは半円形に並んで座らされ、簡単なマタニティヨガを体験した。
ヨガそのものは、まぁよい。
問題はそれと組み合わされた恐怖のトークセッションだった。

さぁ、お腹に手を当てて
お腹の赤ちゃんの声をきいてあげてください

うわーでたよ、私の苦手なこういうやつ。
すぐさま嫌な予感に襲われた。何とか大人しくしてこの場をやりすごそう…
そう思っていた私に先生はさらに恐ろしい言葉を投げかけた。

それでは皆さん、右の方から順に赤ちゃんとの会話を発表していってください。お腹の中の赤ちゃんは何と言っていましたか?お母さんは何と声をかけてあげましたか?

え!(衝撃)
これには本当に面食らった。
もちろん、我が子には何の声かけもしていない。
これが終わったらラーメンでも食べに行こうみたいなことを、1人でぼんやり考えて時間を潰していた不謹慎な私である。
声かけしたとしたら、とんこつにする?醤油にする?くらいのものだ。

次々と「いいこと」を言っていく、周囲の妊婦との間にとてつもない壁を感じる。
結果私は「えーっと元気ですと言っていました。元気でねと言いました」など小学生の作文より低レベルな発表をして、その場をやり過ごした。

そして帰り道うっすらとした、怒りにも近い負の感情を抱えていた。
妊婦って、優しくなきゃいけないの?
赤ちゃんに常に語りかけとかないといけないの?
生命の誕生の神秘、命の息吹の美しさを四六時中感じとくべきなの?

なんてったって、妊娠中も深夜まで会社に残って働き、妊婦検診に行った時も病院の待合室でパソコンを広げてひたすら仕事していた私である。

ポエムを書いている暇も、どこかのプリンセスのように小鳥たちと歌っている暇もないのだ。
もちろん妊娠は嬉しいし、子どもの健康のために最大限努力もして生活はしていた。
だが、押し寄せる現実に毎日必死で対処しながら生きているのだ。
はっきり言って、そんなフワフワしている場合じゃない。

何よりも、まるで「妊婦教」に勝手に入信させられてしまったかのような気持ち悪さが解せない。
私は間違いなく妊婦だし、沐浴の仕方やオムツの替え方など必要なことはくまなく学びたい。
だけれども、妊婦教に入った覚えは一切ない。
性格は妊娠前と変わらずせっかちで短気だし、ラブストーリーよりマフィア物の映画の方が好きだ。
ハーブティーを飲みながらアロマをたいて、産着をこしらえるような母親にはなれない。

オーストラリアセレブ妊婦の衝撃

どの本を読んでも、どんな会に行っても
「妊娠」と名のつく物には、この特有の気持ち悪さを覚えた。

妊娠中も自分らしくありたい。
どちらかというと、パンクでファンキーな妊婦の方が私の憧れである。
ステレオタイプな「The マタニティ」もよいが、それ以外の選択肢があってもいいはずだ。

そんな事を思っていた私なのだが、Netflixで「Yummy mummies」という番組を観た時は衝撃だった。
オーストラリアに住む妊婦たちのドキュメンタリーショーである。
登場人物が全員セレブなので、一般的な感覚とは言えないのかもしれないが、え?本当に妊婦?と疑ってしまうほどのライフスタイルなのである。

優しい色合いで、お腹を隠すようなふんわりAラインのマタニティ服が主流の日本に対して、このyummy mummiesたちはまさかの原色・派手柄・ボディコン・ドレス・ハイヒール。
お腹の膨らみさえファッションよ!と言わんばかりの強気さだ。
さすがにハイヒールは危なくないか?と否定的に思ったが、ショッキングカラーのイケイケ服を着て颯爽と歩く姿はめちゃくちゃカッコ良くて憧れた。

そうだ、子を宿していても私たちのアイデンティティは変わらないのだ。
私の怒りは「わたし」という人格が、急に「おかあさん」にさせられそうになってしまったことの戸惑いも大きかったのかもしれない。
妊娠した時点で覚悟は決めている。母親になる自信がないとかいうつもりは毛頭ない。だけれども、それは世間が定義する「いい母親像」を演じるということでは決して、ないのだ。

私は私のアイデンティティを崩さない

出産を経て、はれて母となった私は髪の毛をピンクに染めた。
ステレオタイプの「いい母親像」に対する小さな反抗である。

服については動きやすさと汚れてもいいもの重視で選んだため、妊娠前と同じような系統のものは着れなかったが、それでも子どもを預けて外出するときは、ショートパンツにヒールで出かけた。

TPOに応じたファッションは必要だが、母親になったことで自分を無理に変える必要はない。
(体型と年齢を含めて今の自分に似合うものにはするけども。笑)

いつも微笑みを絶やさない、聖母のような母に私はなれない。
だけど、常に明るくファンキーで前向きな母でいる自信はわりとある。

子供たちよ、優しく清楚なお母さんは諦めてくれ。
でも「うちの母さんわりとクールだぜ」と言ってもらえる母は目指すから。
約束するよ。

本代に使わせていただきます!!感謝!