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オムツも、おしゃぶり卒業もできなかった3歳の息子からの学び

私は子育てが大の苦手である。

合理的に生きていくことを信条としているのに、1歳8ヶ月の次男はおろか、3歳8ヶ月の長男にすら論理も正論も通じず、打ちのめされることが多いからだ。

生まれて初めて「正しいことを言ってもうまくいくわけじゃない」という事態に直面し、中々に日々精神を削られている。

わかっているのに、ついカッとなって怒ったり。
溜息をついてしまったり。
反省しきりの毎日で、もっと徳を積まねば…と自己研鑽中である。

子育てについてのエキスパートでもなければ、上記のように苦手意識が強い私であるが、それを克服するために勉強は常にしている。
かつ保育経験10年という頼もしい夫と相談をし、いくつかの子育てルールを決めた。
今日はそれについて書いてみようと思う。

「他人と比べない」

まず、大事にしているルール1つめは「他人と比べないこと」である。

当たり前だが、子どもは一人ひとり個性が違う。自分たちの子はオンリーワンだと誰もがわかっていても、ついつい他人と比較してしまう…そんなことは多い。

私も、全く比べないかというと嘘になる。
同じ年齢・月齢の子と比べて肉体的な成長や、精神的な成長、能力的な成長が早いのか?遅いのか?は正直無意識的に比べてしまっている。

一般的に特に気になるのは「周りに比べて遅い時」だろう。
私はここに関して一貫して「気にしない」というスタンスを保っている。

我が家の場合、次男は長男の影響もあってか、肉体的にも精神的にも成長が早いタイプなのだが、長男は性格的にも穏やかで、常にゆったりとしたペースを保っていた。

皆がクルクル寝返りを決めているところ、1人だけどーん!と岩のように動かない。
立つのも、歩くのも、喋るのも目立って遅くはないが、早くもなかった。

今は4歳手前なので、より「大人になるための準備」に焦点が当てられがちなのだが、お友達がどんどんオムツを卒業していく中、つい最近まで「トイレはいかない!」と強く主張していたし、何とおしゃぶりも卒業できていなかった。

歯科検診で、やや開咬気味(噛み合わせが悪い)であることを指摘された為、寝る時以外のおしゃぶりは辞めてもらうよう長男にお願いしたのだが(何の抵抗もなく辞めてくれた)完全に精神的に中毒しており、眠たい時、疲れた時はおしゃぶりがないと大騒ぎだった。

トイトレはまだしも、周りにまだおしゃぶりをしてる子なんて正直見たことがない。
でも、歯科医にも「入眠の時くらいはいいですよ」と言われたし、健康・身体的な被害がないのであれば…とさほど気にしていなかった。

何より「恥ずかしいでしょ!3歳にもなっておしゃぶりなんて」「もう誰もしてないよ!」みたいなことは絶対に言わないと決めていた。

これらは良く聞かれるようなセリフだが、考えてみればおかしくて、「恥ずかしい」のは本人ではなく言っている「親の方」なのである。
人を傷つけるような行為であれば止めるべきだが、おしゃぶりを何歳でしてようが、人に迷惑をかけることなんてない。
本人が恥ずかしいんだったら、自分で嫌になるでしょと気楽に捉えていた。

結果、たまに「おしゃぶり辞める?」と聞いてみたり、「Bye bye binkiのイベント(カナダではおしゃぶり卒業のときにそれをバルーンにつけて飛ばすらしい)」の映像を見たりと促してはみるものの、私も夫も「辞めなさい!」とは一度も言わなかった。

長男の方も強者で「辞める?」の問いかけに「やだ!辞めない!5歳になったら辞めるの!」と謎のポリシーを決め込んでいた。
ついには先日「20歳になるまでする!」と言い出したので、これには夫と爆笑した。
「そっかぁ。20歳サイズのおしゃぶりあるかなぁ?」と言うと「大丈夫よ!」と自信満々に答えられて、さらに笑ってしまった。

突然の宣言に…

そんな長男が昨日、突然言い出したのだ。

「おしゃぶり辞める。ハサミでカットする」と。

突然の宣言に完全に虚をつかれた。
なんせ、その10分前までおしゃぶりが欲しいと主張していたのである。
「寝る時だけね」という私の戒めに逆らい、こそっと咥えたりもしていたくらいである。

そんな中の急な卒業宣言。
私は仕事中の夫に報告するため(我が家のビッグニュース!)にビデオを回しながら

「本当にいいの?カットしたらもう使えないよ?ママ新しいおしゃぶりも買わないよ?本当にバイバイでいい?」

と5回ほど確認したが、彼は大きく頷き「うん。バイバイする」と決意の表情である。
長男におしゃぶりをにぎらせ、私がラバー部分をカット。
おしゃぶり卒業の儀は無事に執り行われた。

「すごいね!頑張ったね!!」とその場で激褒めしていると、自信に満ち溢れた表情で「自分でバイバイした!○○くん、お兄さんよ!」と繰り返し言っていた。

朝方、夫と対面するときにも「昨日何したか自分でパパに言ってごらん」と言うと、嬉々として卒業の儀のことを報告していた。
夫も「I'm really proud of you!!!(君が本当に誇らしいよ)」「You should proud of yourself!!!(誇りに思うんだよ!)」と絶賛、ハグ&キスの嵐である。

実はこのおしゃぶり卒業の少し前、トイトレの方もぐんと進捗していた。
絶対にうんちだけはトイレでしたくない!と頑なだったのだが、これまた突然「トイレでうんちする!」といいだし、「ママは見ないでね!」とご丁寧に鍵までかけて、絵本を持ち込み個室に閉じこもるようになった。

毎度成功し、その度に「すごいねー!頑張ったね!」と大袈裟に褒め、本人も誇らしげだった。

基本はまだオムツなのだが、保育園にもパンツを履いて行きたがる日も増え、一度失敗して嫌になってしまうということもあったが「失敗してもいいんだよ!洗えばいいんだから!」と根強く声をかけているとまた自然とトライするようになった。

最初はトイレに行けたらシールをあげたりと、いわゆる「トイトレ」的なことをやっていた時期もあるが、あるときから「我が家はトイトレはもうしない」と決めた。
何もしないので親も楽だし、子どもと喧嘩することも一切なく、今自分の力でできるようになってきている。

「自分で選択させること」

この一連の流れを見て、私と夫はいたく感動していた。
2人で子どものペースに任せる!と決めたものの、このままじゃマジで小学校入ってもおしゃぶりやオムツしてるんじゃ…
とどこかで不安だった私たちだが、子どもはすごい。

別に誰かに強要されなくても、こんなに小さくても、自然と自分の力で決断ができるのである。

親が子どもを信じないでどうする

そう思わされた出来事だった。
大人というのは勝手なもので「自立心がある大人になってほしい」とか「責任を取れる子になってほしい」とか願うくせに、大事な子どもの選択の権利を奪いがちだ。

何でも親に決められるのに、突然社会に出てから「ちゃんと自分で決めなさい」と言われるなんて、そりゃ酷ってもんだ。

我が家では他にも、可能な限り選択は子どもたちにさせるようにしていて、その組み合わせ絶対合わないよ…!という服や、ダサくて家に置きたくないな…と思うおもちゃも、お散歩の時の道も基本的に子どもたちに選ばせる。

長男が選んだ、まっピンクの長靴は手持ちのどの服にも合わなかったが、本人は「かっこいい」とずっとお気に入りで履いていた(今は緑が好きなので、全身緑だったりする)

「自分で選択させる」それが我が家の2つ目のルール。
昔上司が「権限と責任はセットだ」と言っていた。権利がないのに責任は取らせられないし、責任を取らなくてはいけないのに、決める権利がないこともおかしい。

「自分で決めたよね?ママとパパがそれにしろって言ったわけじゃないよね?自分で決めたことの責任は取りなさい」

これは3歳の息子に私たちが良くいう言葉である。

「ステレオタイプで判断しない」

最後のルールはこれ。
例えば「男の子だから」「お兄ちゃんだから」と言わないことだ。

男の子だから泣いちゃいけないわけじゃない。
強くいなくちゃいけないわけじゃない。
青や緑しか選んじゃいけないわけじゃない。
お兄ちゃんだからしっかりしなくちゃいけないわけじゃない。

確かに性差はあるし、まだ赤ちゃんみがある弟との争いでは「お兄ちゃん」であるから我慢しなくちゃいけないことは多い。
だが、そんな時に「お兄ちゃんでしょ!我慢しなさい!」という安直な言葉は使いたくない。

これが機能しているからかどうかはわからないが、長男は次男が産まれてこの方、赤ちゃん返りもしたことがなく、甘えや我儘が加速したこともない。

兄であることの相対的な「お兄さん」ではなく、絶対的な彼の成長を評価した「お兄さんになったね」という言葉はよく使っており、彼も「お兄さんだから、大丈夫よ!皆に優しくする!」と頼もしい。

子どもの自信を奪うのは大人たち

たかたが4年弱子育てをしているだけだが、確実にわかったことは

子どもの力は思った以上にすごい

ということだ。子どもの生きていく力、立ち直る力、学ぶ力…どれも、大人の想像を軽く超えてくる。

往々にして、私たち大人が子どもをみくびっていることは多い。

「まだそんなことできないでしょ!」
「いいから早くしなさい!(私がやるから)」
「これがいいんじゃない?(決めさせない)」

など日常で安易に繰り返している言動が、子どもの成長する力を奪う。
子どもはそれにあらがいたくて泣いたり我儘を言ったりする。
例えば大人を悩ますイヤイヤ期も、捉え用によっては彼らの「僕は成長したいんだ!邪魔しないで!」という叫びなのではないかと思う。

私もまだまだ未熟で、自分に余裕や時間がないときは子どもたちを急かしたり、選択の自由を奪ってしまうことがある。
だけど、なるべく。なるべく気をつけて生きて行きたい。

子どもの自信を奪っているのはいつも大人たちである。子どもはすごい。ちゃんと自分で決められるし、前に進める。

私たち大人は、その応援団であればいいだけだ。
失敗しても、困難にぶちあたっても、いつだって応援するからね。そう伝え続けることが親の役割なのではと、私は思う。

本代に使わせていただきます!!感謝!